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1999年2月 天津4日間 [旅行記 海外]

1998年末から1999年初めにかけて、仕事が忙しくて少々嫌気がさしていた。前の年は暇だっただけにそのギャップもあった。そんな仕事も2月中頃には一段落するだろうとのこと、こら2日ほど休みをとってどこか旅行にでも行かしてもらわなやっとれんわ(といってもたった2日^^;)ということで計画を立てる事にした。

3年ほど海外にも行ってないし、久しぶりに中国にでも行くかな、中国に行くとしても4日程度ならどこか一カ所やな、それも関西空港から直行便が飛んでいる所が楽でいいかなと、時刻表をながめていると、全日空の天津便が土曜、火曜に飛んでいてうまく利用できそうである。天津なら行ったことがないしいいかもしれない。これにしようと、1月下旬休みの日にチケットを買いに行った。けど飛行機に乗るのは3年振りだし、これまで船で行ける韓国を除いてパック旅行を使う事が多かったので、飛行機の切符をどこで買えばいいのかがよく分からない、取り敢えず神戸三宮のJTBにFITコーナーがあったのでそこに行って聞いてみることにした。すると火曜日に天津から関西空港までの便は無いという。どうも去年の秋の時刻表を見ていたのがまずかったらしい。日を少しずらしてみるとか、考えてみたが、天津往復ではうまくいかない。それならということで、火曜日に全日空の北京からの便ならあるそうなので、料金は少し上がるが、行き天津帰りは北京からと言う事にした。料金は(天津往復+北京往復)/2で5万円を少し切る位になった。ほかの旅行社でも値段とか聞いてみようかなという気もしたが、面倒くさいし、係のお姉さんの感じも悪くなかったので、これで予約を入れて貰うことにする。

さて天津といえば天津丼(JALPACKのパンフレットには本場の天津丼を・・と書いてあったが)、ではなくて、今中国語を習ってる神戸のG小姐と千里のY先生が天津の人である。話を聞いておかない手はない。まずこの日は神戸でG小姐の授業があったので、さっそく、天津に行く事にして今日予約して来たことを言った。それなら、天津にいるの彼女の日本語の先生に連絡をとってホテルの手配とかしてあげましょうか、とのこと。そこまで期待はしてなかったし、ホテルを探すのもいいかなと思っていたが、春節の直ぐ後で不便な事があるかもしれないし、折角だからお願いする事にした。結局気分的にはパックに参加するよりも楽な感じの旅行になった。

2月7日、千里の勉強会でY先生に天津にいくことを言うと、弟さんに連絡とってあげましょうか言ってくれた。これまたありがたい申し出だったが、たった4日間の旅行にそう何人もの人の世話になるのも、と言う気もしてその場では、またあとで連絡させて貰いますと返事してしまった。であとで連絡をとろうとしたら,この間の携帯電話番号変更の時のせいかY先生の電話番号が消えていた。

2月上旬は風邪をひいたり、ついでに雪がふったりで2日ほど休んだし、仕事の工程も少し遅れ気味でちょっと焦ったが、まあなんとか無事出発の日を迎えた。

2月20日(土)一日目


飛行機の出る2時間に空港に着け、と言うのが旅行社の話で、少しくらい遅れてもいいかなとも思ったが、関西空港に行くのも3年振りだし、ちょっと気合を入れて早起きする事にした。朝5時過ぎに家を出、JR普通電車から加古川で湖西方面へ行く臨時の新快速に乗り換える。臨時のせいか4両しかなかった車内は新快速とは思えないほどがらがら。垂水付近で、立ち客もいる快速を、抜いていくのは悪い気分ではなかった。

6:22に三宮に着きバスに乗り換える。6:20の関西空港行きが出たばっかりだったので僕が並んだころ列は短かったが、発車時に車内はほぼ満席になっていた。このバス、開港当初は3列シートでゆったりできていたのに、今は普通の4列シートになってしまっている。バスは途中六甲アイランドのベイシェラトンホテルにより、阪神高速湾岸線で関空に向かう。大阪南港を過ぎるころまでは太陽が出ていたのだが、関空が近づいたころ、雨が降って来た、いやよく見たら雪の様な。げ、こらひょっとして誰かのたたりか。まさかいったん飛んだ、飛行機が引き返してくることはないやろな、と心配したが、幸い大したことはなかった。バスはほぼ定刻8時前に関西空港着。早速引換証とチケットを交換し、チェックインカウンターへ行き搭乗券を受け取る。まだ時間はあるので関空の中をうろつくことにした。

空港に来て見るものといえば、空中小姐に、カウンタの小姐に、案内係の小姐に・・・と。発着の案内表示でも見ながらいろんな所にいきたいなとおもいつつ、売店コーナーにも行ってみる。G小姐の日本語の先生、天津のJ先生に天津甘栗をもっていこうと思ってみやげ物屋を探したが見つからなかった。ちょっと残念である。朝は食べてきていたが、食堂コーナーをうろうろして、ついつい天丼など食べるうちに、出発1時間前、出国手続きをする。関空も思ったほど面白い場所がない、やっぱり飛行機に乗る用事でもなかったら、こんなあ、と思う。出国手続きを済ませた後にも、特に面白いものがあるわけでもなく、暇かと思っていたが、昨日から腹の調子が悪かったのでその処理に時間がかかって丁度いいくらいの時間になっていた。

定刻の25分前、9:35頃、アモイ行きの飛行機と向かい合わせになった搭乗口から機内に乗り込む。今度はあっちの飛行機もいいかなと思う。2月の閑散期だろうしどれくらい乗っているのかなと思っていたが、半分位は乗っているようである。シートベルトを締めると少し緊張する。以前は1週間くらい前から、飛行機に乗ることにしたのを後悔していたのだが、最近では慣れたのかそういう気持ちにはならない。とはいえやっぱりあんまり好きではない。

当日の天気はよく離陸後、窓外には淡路島や明石、加古川付近がよく見える。ありゃ、3年前大連に行った時は、徳島、瀬戸大橋から山陽路を福岡まで行ったはずやのにこんなとこ通るんか、と思って機内誌の路線図を見ると、いまは鳥取県から日本海に出て、朝鮮半島、ソウルの上空を飛んでいくらしい。知らんかった。

着陸も無事済んで、天津空港には丁度定刻の12:05頃着。人数が多いわけでもなく、入国手続きもそんなにはかからない。バスにでも乗って市内まで行こうと思い、ターミナルをぐるっと見回すがバス乗り場らしいものはない。案内所のおばちゃんに聞いても没有ということで、しゃーないタクシーに乗る事にする。国内でもタクシーに乗る事は滅多にないし、空港のタクシーにあまりいいイメージがなかったので、少し身構えるが、天津駅まで事前情報通りの60元だった。駅前を見回してみると、春節らしい飾りつけがまだいっぱいありちょっと嬉しい。 J先生に予約を入れて貰っているホテル、遠洋賓館のビルは直ぐわかった。なんか結構高い建物だ。しばらく駅前でボーとしていたが取り敢えず荷物置いてこう、とホテルに向かう。みためよりちょっと時間がかかった。

ロビーに入ると広く、思ったよりもきれいなホテルだった。フロントのお姉さんにチェックインしたいと告げるが、予約がないとかいわれる。部屋がないわけではなく泊まれるようだが、よーわからんので、J先生に電話をして話をしてもらう。詳しい事はよく分からなかったが、今日はホテル棟が春節で水が出ないので、隣の棟のマンション部分にある部屋に泊まってくれとのこと。明日からは水が出るからホテル棟に移れるらしい。

横浜ベイスターズの佐々木に似たベルのお兄さんに案内されて28階にある部屋に行く。申し訳なさそうに言うからひどい部屋かと思っていたが、二部屋付いてるし、ベッドも広いし、衛星放送が見れるテレビもあるし言う事は何もなかった。しばし休憩し、J先生を待つ。

1時間ほど立ったところでチャイムがなり、意外に若く見えたJ先生と中学生くらいの娘さんがやってきた。今日はもともと娘さんとどこかに行く約束をしてたのかもしれない。申し訳ない気もするが好意に甘えて、市内を案内して貰う事にする。ホテル前からタクシーに乗り古文化街へ向かう。なにやら賑やかで時代劇に出て来そうな建物が並んでいる。年画とか、骨董品みたいなものとか、大勢の人が買っている、僕から見ると珍しいおみやげ品というイメージだが正月には欠かせないものとして、自分のところで使う人が多い様だった。途中にある小さな博物館になっている廟を見学する。結婚式の風俗などに反応するJ先生の娘さんがなんか女の子らしくて可愛い。いくつかの店を覗いて、古文化街を通り抜けたところで、タクシーに乗り市中心部の繁華街へ。何か買いたいものがあるか聞かれるが、荷物の都合もあるので今日は見るだけにしますと言い、いくつかの店を見てまわった。

それにしてもJ先生と娘さんの仲はいい。日本ではこれくらいの歳の女の子は父親から少し距離を置き始める事が多い様に思うのだが。遠くから見ていると恋人同志の様でもある。見ているとJ先生だけでなく多くの親子連れが同じような感じだった。ひとりっ子政策によるものなのか、日本と比べてどちらがいいとかはよく分からない。ただこの様子をみてうらやましいと思う日本の父親は多いだろうなとは思う。しばらくぶらぶらした後そのまま歩いてホテルに戻る。しばらく休憩した後、J先生とはお別れ、後は一人で行動する事になる。

テレビを見たい気もあったが短い旅行なので取り敢えず外に出る。もう一度繁華街に出て歩いていると、何か不思議な感じがした。今朝自宅にいたのに、あまりに早く着き過ぎて意識が切り替わっていないのか、外国に来たという気がしない。どこか見知らぬ土地にいる事だけは確かなのだが、例えば名古屋あたりをうろついているのと同じような気分になる。初めて中国に来た時はそうではなかった。街角の看板一つ、店先の品物一つ一つ珍しくて。漢字ばかりのテレビ画面を写真にとったりもした。なんか慣れてしまったのか、感性が鈍くなったのか。それとも天津が刺激の少ないまちだからだろうか。そんなことを考えながら、腹も減って来たので、ホテルの向かいにある快餐店に入ってみた。まあ無難なところだろうと、鶏肉カレーとミニ豚まんに水を頼んだ。

カレーは人参とじゃがいもがごろごろした昔懐かしい感じ。ただルーが色付きの水みたいで、福神漬けも付いていない。蒸籠に乗った豚まんは小さいとはいえ10 個もやってきた。こんなに食えるんかと思ったが、周りを見てみると、10個をみんなで分けて食べるわけではなくこれで普通の一人前らしい。とはいえ、これはきつそうなんで、持ち帰りのできそうな豚まんは後にしてカレーを優先して食べ始める。おなかが減ってたというのもあって、残す事はなかったが、今回の旅行で残り半分になった後の、このカレーだけはまずかった。

こちらは美味しかったものの、3つ程残った豚まんを手に散歩する。もうすっかり日の落ちた街を歩いているとあちこちから爆竹の音が聞こえて来た。16日が春節だったが、20日になってもまだこんなに盛大にやってんのか、いやあ雰囲気出るなあ、と喜んでいたのも初めのうち。メインストリートから一歩横に入ると、道路の真ん中でいきなり爆竹がなりだす。それも日本でおなじみのサイズのやつだけでなく、お前はダイナマイトかと言うのが街路樹にぶら下がってたりする。身の危険を感じてきた。なるべく爆竹の多そうな通りは避ける様に散歩を続けていたが、いたるところで鳴りだして、どうしようもない。何度もぎくっとさせられながら、ちょっと早めにホテルに戻った。その後も深夜まで爆発音や花火の音があちこちでしていた。あとで聞いたところによると、この日は初五でやっぱり爆竹を鳴らす日らしい。丁度よかったですね、と言われたが・・・、まあよかったのかもしれん。

21日(日)二日目


さてと今日も結構元気である。まずは歩いて、ホテルから北西へ少し行ったあたりの南市食品街に行く事にする。やっぱり地図から予想したより時間がかかるなと思いつつもやってきたが、時間はまだ10時前、ほとんどの店がまだやってない様な気がする。しょうがないからくりっと一周だけして天塔に向かう。初めは時間もあるし歩いていこ、と思っていたのだが市街地の南に位置する天塔はやっぱり遠く途中でくじける。タクシー10元なりを使ってやってきた。そのまま門を入ろうとすると怒られた。切符をかえということらしい。まあそらそうや。大枚50 元はたいて買った入場券は葉書になっていてそのまま送れるような気がする。エレベータで展望室まで上がるとながめはいいのだが、景色にインパクトがない。知っている場所というのがホテルだけだし、例えば北京のように故宮だのという文化財があるわけでもない。普通の見知らぬ街が広がっているだけである。どうもいまいち旅行モードに入っていない様だ。なにか面白いものを見つけようと言う意欲に欠ける気がする。

天塔をきれいに見せるために整備された様な道を少し歩き、水上公園に着いた。まだ11時前、人も少ない様だ。ぶらぶら歩いてみるが広い。なんじゃこの広さはと思いながら動物園にたどり着く。パンダがあんなとこにおるやんけ、と見に行こうとすると1元の別料金がいるらしい。なんかもったいない気がして、ほんならええわと止めておく。すこし昼飯には早いが売店でパンを買って食べる、確かジャムパンと書いていると思ったのにジャムが出てこないと思ったら、両手くらいの大きさのパンに小指の先ほどのジャムが隠れていた。ちょっと不機嫌になる。疲れて来たのかふらふらと虎とライオンのコーナーに入る、ここも別料金がいった。それもパンダの倍の2元である。なんでこんな所に入ったんかなあと思いつつ周りの中国人を見ていたが、カメラのフラッシュは焚くは、食べ物は投げるは、あちこちに書かれた標語が虚しい。

公園内は12時をまわってだんだん人も増えて賑やかになって来た。公園内にカラオケ餐庁みたいなのがあってうるさい。別にカラオケが悪いわけではないし自分も好きなのだが、ここはスピーカを外にも向けているのである。近くを通ると、いやけっこう遠くまで元気な歌声が聞こえる。そんなにしてまで聴いて貰いたい歌なんか、と思うが。えーいへたくそ、そんな歌聞きたくない聞きたくない。それでもさすがに広い公園である。しばらく歩くとそんな音も聞こえなくなった。ええかげん疲れてきたのでしばしベンチで休憩後ホテルに戻る事にした。初めはタクシーでホテルまで帰るつもりだったが、一応道路に出てバス停を見ると8路の天津駅行きがある。しばらく停留所で待っているとバスがやってきたのでこれに乗って行く事にした。運賃は5角で前乗り後降りのワンマンバスだった、切符を買わなくていいのはちょっと寂しい。駅前ターミナル到着後そばに有る香港系らしいデパートのスーパーによってみた。天津の工場で作ったキットカットチョコレートがあったので、会社の人の土産に買っておく。持って行った時の評判は悪くなかった。

ホテルへ戻った時ホテル棟ではなく、マンション棟の入り口から入るのだがここの警備員さんが昨日と変わっていて、お前へどこへ行くんやと聞かれる、ここの 28階に泊まってるという、とまあ問題なく通してくれて、エレベータに乗った。ここで、ボタンを押すところで27階のボタンを押してしまっい、すぐ続けて28 階も押したのだがっまあええかと思っていたら、23階くらいで階数表示のランプが全部消えエレベータが止まってしまった。事故かと思ってびびったが、スピーカからもう一度ボタンを押してくださいという様な声がする。どうやらさっきの警備員が27階のボタンが押されたのを不信に思って操作した様だ。すこしむっとしたが、部屋のキーもICカードが使われていたりして安全には気を使ってるようだし、まあこれくらいでいいのかなとも思った。

テレビを見ながらしばし休憩。その後食事に出かける。やっぱ折角やしダックダックということで、天津[火考]鴨店へ行く。2階は高級そうな感じがするが、一階は快餐部になっていて[火考]鴨套餐が15元、約220円で食べられる。包餅が10枚に[火考]鴨、ネギ、キュウリにスープなどがセットになっていて、結構腹いっぱいになる。ガムが一枚おまけについていたが、[火考]鴨はそんなににおうんかな? 周りを見ているとほかにもいろいろセットメニューがある。特に目立つのが包子セットで山盛りになっている。あれで一人前とは、なんか自分が小食に思えてくる。天津の人と比べて、なんで自分はこんなに体重があるのかよく分からない。味にも満足して天津[火考]鴨店を出ると目の前に天津甘栗屋があった。本場の天津甘栗、それも名前が天津栗子王、なんかすごそうや。一番粒の大きくて高いのを買ってみる。栗を作る作業は日本とほとんど同じ、よく洗った後、ぐりぐり回転する機械に入れて作ってる。味の方は、天津で買ったものの方が木の実、という感じが残ってた様に思う。日本のも天津のもどちらも美味しい。

食後は相変わらずの散歩だが、今日は日が暮れてからもそんなに爆竹音はしない。少なくとも危険な感じはないようである。さて、僕の普段の行動範囲と言うのは姫路-神戸当たりなのだがここの繁華街で東西南北がわからなくなる事はまず無い。多少曲がっていても東西の通りと南北の通りがわりとはっきりしている。そうでない街に来ると方向がわからなくなってしまう。天津でもそうだった、こっちの道は行ったこと無いかなと行って見るた浜江道、こっちは知らんぞありゃまた浜江道、結局よーわからん状態になってしまう。

歩き疲れてちょっと休憩と言う時に喫茶店がほとんどない天津だが、民航ビルの近くをうろついていると、なんとか茶坊と言う店があって、ガラス張りの店内を外から覗いてみると、お茶が色々飲める様で雰囲気もよさそうだった。また後できてみようと思っていたのだが、後からではたどり着けず少々残念。茶坊ではなくて茶座と言うのは他に何軒かあったがこれは中身がよく見えなくてなんか怪しそうだった。

7時過ぎホテルに戻ると部屋を変えますとのメッセージが入っていた。フロントに寄ってキーを換えてもらい、ホテル棟の9階の部屋に移る。荷物を運んでくれたのはまた横浜の佐々木似のお兄さんだった。この人、やる事はしっかりやってくれるのだが、なんかチップを渡そうという雰囲気をしていない。チップはいるかいらないか、ちょっと迷っていたのだが。今度移ってきた部屋は一部屋しかないが、これまた前の部屋と同じくらい広い、バスルームは前より広い。昔東京の某ビジネスホテルがツインだと言い張った部屋だとバスルームに入ってしまいそうである。

休憩後もう一度街へでて、お菓子などを買ってきて、テレビを見ながら食べた。いや幸せである。

21日(月)三日目


この日は、とりあえず買い物の日,と言うことにして、いろいろ店を回ってみることにした。まずは音像店でCDかテープでも買おうかなと、手近な所に入ってみる。3年前の大連ではテープが殆どだったのが、今の天津ではVCDが主流になっている。値段もテープよりは高いもののCDと比べると半額以下のようである。

今、僕の家でVCDを見ようとすると、3年前に買ったパソコンの片隅にカクカク動く画面と、ディスプレイ横から出る情けない音を聞くしかないので、VCDはあまり買う気はなかったのだが、VCDのほうがお得の様な気がして来た。7枚100元で映画のVCDを何枚か買う。どんな映画が流行ってるのか全くわからなかったので店の小姐に選んで貰って、「不見不散」とか、「黄飛鴻西域雄獅」とかにする。他の店にもよって孟庭葦ものも探すが、音楽ものは品ぞろえがもうひとつ良くない。結局VCD2枚だけ買った。電器店も行ってみた。VCDプレーヤは1000元くらいからで、今流行ってますと言うようなスペースをとっている。一瞬買うてかえろ、と思うが、重そうだし、電源が合わなくてめんどくさそうなので我慢する。

昼食にはまた天津[火考]鴨店に行く、前日と同じ[火考]鴨套餐を注文し、日本で [火考]鴨を食べようと思ったらこの10倍はするやろなとじっくり味わう。

ところで、今回街をうろついていてなぜか目についたのが夫妻用品、いわゆる性関連の商品を扱う店だが、特価高級自慰機とか書いた紙を入り口のところに張ってる様な店がごく普通に街のあちこちにみられ、そういう店はなぜか大抵店先で音楽を鳴らしてる。雑貨屋でふとみると、お菓子と並んで保険套が無造作にぶら下げられたりもする。その手ものとしては、日本の方がもっと凄い物が簡単に手に入るのだろうが(よくしりません^^)、感覚がちょっと違うのか、なんかちょっと恥ずかしい気もする。そういえば音像店でも映画や音楽VCDと並んで"夫妻のための愛の技巧"とか、"性病の知識"とかいう教育用(ほんまか)のVCDがかなりの場所をとってたりする。この手のVCDを話の種(ほんまに)として、ある店でちょっと買う気になったりしたが、店員が女の子だったんでやめた。

昼食後、ホテルにかえって少し休憩し、午後からは、折角中国に来たんやからやっぱり中文の歌は歌いたいな、とカラオケ店を探す。J先生は友誼賓館にあるスナックが日本語も通じるし、いいですよと勧めてくれたが、高そうなんで遠慮しておく。繁華街を歩いてみると、入り口に値段を明記した店がいくつかある。午後の時間帯だと少し安い値段ところが多い。その中から適当に、海河沿いにある歌舞庁に入ってみた。店のお兄さんに値段を確かめた後25元払って中に入る。なんか真っ暗でよーわからんがテーブルに案内されローソクの明かりを頼りに曲を探す。が、古い、最新曲と言うのが97年のものでそれもディスク1枚分しかないようだった。しょうがないので孟庭葦の「冬季到台北来看雨」など3曲を選ぶ。中国で亜亜の曲が一曲も無いことは考えられないんで、その点は安心できるが。ま、なにはともあれ気持ちよく歌えたことは確か。

歌舞庁を出た後、雑誌スタンドで雑誌、新聞を購入。どれを買うか迷っていると、お姉さんがVCD付の音楽雑誌を買っていく、月2回発行の「青春之星」と言う雑誌で、ちょうど最新号と、一つ前の号が一冊ずつ残っていたので買う。その後、しばらく歩いていると脚がいたくなってきた。いったんホテルへ戻るが、疲労というより、段差のあるところでこけそうになった時痛めた様で、無理しない方がいいかなと思う。とはいえ晩飯がまだなのでやっぱりもう一度街へ出る。夜になると屋台の食べ物屋がでる通りがあって、J先生も美味しいですよとのことなので、そこに行ってみる。10軒少々の攤子が並んでいて多くのひとが食事をしている。基本的には立ち食いのようである。一番人気は炒麺のようで3軒ほどあり、他に伊大利麺、串カツ、雲南米線などどれも美味しそう。とりあえず見た目一番美味しそうな炒麺を一番元気なお姉さんが呼び込みやってた店で買う。4元で量は結構ある。味もまあまあ。ウスターソースを掛けたいきもしたが、贅沢かも知れん。腹は膨れたが、もひとつ何か食べてみようと言うことで、担担麺と宮爆羊腸?で迷う。爆発しそうなほうを選ぶが、辛いのんいれるかと聞かれたんで、入れると言ったがこれが失敗。辛過ぎて、具は何とか食べたがスープは飲めなかった。

お腹も一杯になったし、脚の痛みがひどくなって来たのでホテルへ戻る、つもりだったが、通り過ぎて駅まで行ってみる。駅前では北京行きバスや旅館の呼び込みが激しい。これから北京行かんか、と言われても困る。隣のデパートでお土産を物色したあと戻る。

ホテルに帰って、そういえば、もうそろそろフィルムがなくなってもいいはずなのにおかしいなと思い、中を見るとフィルムが入ってない。カメラの中は空だった。さすがにこれから写真を取り直す元気はない。まあええか。

脚の痛みは残っているし天津駅のライトアップも消えている。夜食用に買っておいたケーキでも食べながら今日はもう、テレビを見て過ごす事にした。



22日(火)最終日
天津の街にもだんだん馴染んで、この街も結構奥が深くて面白そうだなと思ったころにはもう帰国の日である。残念だし、それにしてもそう感じるまで時間がかかり過ぎの様な、やっぱり昔に比べると感性が鈍くなって来たのかなとも思う。朝の散歩に出かけるが、まだ脚の痛みが引いていない。とりあえず新聞を買い、近くの快餐店で特価4元(普段は8元)になっている牛肉面の朝食をとる。スープは薄味で出汁もきいてるようでなかなかうまい。

10時過ぎホテルをチェックアウトし天津駅に向かう。天津と北京を結ぶ快速は去年の秋に高速化されて1時間15分程で両都市間を結んでいる。本数も増え、日帰りの利用が大分増えたそうだ。票価は日帰りに便利な朝晩の列車は高く、昼間の列車は安く設定されている。一番高いのが30元で25元、20元と言うのもあり、これから乗ろうとしている11時発の北京行き快速は日帰りには不便な時間帯ということか、一番安い15元となっている。改札の前に行くと直近の北京行きの切符を、移動售票という人たちが売っている。初めはダフ屋かと思ったが、そうではなく鉄路局の職員のだった。その内の一人の前に行き「一張」というと、簡単に切符は買えてしまった。

切符を確保した後売店へ行き、山積みされた麻花の中で小さそうなのを選んで買う。予備の鞄も使っている状態で、大きい箱だと持てなかった。バラ売りのにした方がよかったかもしれない。X線の荷物検査を受けてホームに向かう。直前まで切符を売ってるくらいだから空いてるのかなと思っていたが、待合室はいっぱい、ホームに下りると、ずらっと並んだ2階建ての車両に、空席はほとんど無いようだった。車内は2-3の横5列で、向かい合わせになった席の間にテーブルがある。切符に指定された席は一階、車両の真ん中当たり、3人掛けの進行方向窓側。まあまあの席である。となりのおっちゃんに「駅前で切符買うたんやろ」と聞かれそうだと答えると「一緒や」と言われる。このおっちゃんと向かいの席のおばちゃん二人組で、時間によって切符の値段が違うことで盛り上がる。そうかそうかと思いながら聴いていた。それにしても1時間ちょっとで着いてしまうのは、やっぱり速い。もう終わりか、と定刻の12時過ぎ北京駅に到着、隣に座っていたおっちゃんに会釈をし、人込みにもまれながら駅前にでる。残念ながら北京駅は工事中だったが、駅前に立つと、やっぱり首都と言う雰囲気は感じる。天津とはちょっと違うな^^

しばらく駅前で休憩した後、天安門へ向かう。荷物をどこかに預けようかとも思ったが、ここまで戻って来ないといけないし、荷物をぶら下げたまま行く事にした。駅前をとぼとぼ歩き、長安街へでて、東に向かう。意外に近かったような気もしたが、天安門前に到着したのは2時前だった。

天安門広場は工事中で入れないし、故宮を見て回る元気はないし、第一この長安街を渡る気力がない。前回、1987年に北京に来た時に天安門へは登れなかったので、今回は、と思って来たのだが、どうでも良くなって、しばらく道端に座ってボーとしていた。あんまりボーとしてばっかりもなあと思い直し、天安門広場の囲いをを横目に前門までとぼとぼ歩く。ここにはベンチがあったので、またしばらくボーとする。あした仕事がなければ、このまま北京で泊まりたい、と思ったが、出発前に会社で、「いついてまわんと、ちゃんと帰って来い」と言われたし、まあそうもいかんわな。

北京に来てからボーとしどうしだったが、3時もまわったので空港に向かう事にする。タクシーに乗る事にしたが。北京のタクシーは高い、空港まで100元以上する、と聞いたし、事前にもらった資料にも100-120元と書いてある。一応心構えはしてタクシーに乗り込む。この司機なんかちょっと愛想悪いかなと思い、ついつい警戒心を持ってしまったが、空港に着いてみると料金は70元、あれ安いやん。しかも100元札を出して細かいのがない事を告げると他の運転手に両替して貰うからと出て言った。なんかええ人やん。悪い先入観があったせいか、ついついチップを弾んでしまった。

空港でJ先生に電話してこれから飛行機に乗ることを告げるが、電話係のねーちゃんが愛想悪い、それも中国らしい気もするが。多少混雑するかなと思っていた狭っ苦しい北京首都空港の待合室だが、その待合室もがらがらの状態である。18:15発関西空港行き全日空の便には、多分50人も乗ってない様な気がする。大丈夫か全日空。

飛行機に乗り込むと週刊誌を何冊も抱え込んでみるおっさんが多い。新聞ならニュースを知りたいと言うことで分かる気もするが、そんなに週刊誌が読みたいか。で、僕はちょっと格好をつけて天津日報をひろげてました。

飛行機は、ほぼ定刻に無事離陸。この便の食事は、夕食と言うことか来る時の便より少し量が多かった。まず冷たいうどんを食べたのだがこのとき海苔と山葵を入れるのを忘れていた。なんかもったいなかったので、ホットミールのおこわ風のご飯に海苔をかけて、煮物に山葵を付けた。ご飯に海苔はともかく山葵は失敗だった。最後にバターが残ってしまったのに気づいて、これももったいないと思うが、バターだけなめるのはさすがにやめておいた。けど出されたものは全部食べないと、悪い様な気分になる。

途中少し揺れたが大した事もなく、21:25ころ予定より30分近く早く着陸。神戸三宮行き最終22:30発のバスに間に合うか心配してたのが22:00のバスに余裕で間に合う。国際線はこの北京からの便だけで空いとーやん、と思ってたら、国内線の旅客でバスは満席になった、荷物がある分ちょっと窮屈。

三宮からはJR新快速にのる、ほのかに麻花の匂いがするが、誰も天津帰りやとはおもわんやろな、気い付いたからどうと言うもんでも無いけど、とか思ってるうちに加古川着。ここで普通に乗り換えて一駅行った方が家には近いが、待ち時間があるし、まだ脚は痛いし、夜遅いので時間を節約する意味でも、ここからタクシーに乗るかと思い改札をでた。けどなあ、千数百円はいるし、やっぱり、なんかもったいない様な気がして来た。vcdが何枚買える?天津火考鴨が何回くえる? やめとこ。タクシー乗り場と反対に歩きだすが、ついついコンビニによって弁当を買ってしまう。これでタクシー代つこたんといっしょや、それに夜中に食べたらまたふとるなあ、いまさらやけど、30分歩いたくらいではちゃらにはならんわなあ、まあええか。両肩にひとつづつかばんを掛け、コンビニの袋を下げて、今度は何時行けるかなと考えながら、家路についた。

(おわり)
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