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ラジオ [日記・コラム・つぶやき]

前回、ネットラジオのことを書きましたが、僕が小学生くらいのときにBCL(Broad Casting Listener)と言うのが流行りました。BCLとはその名前の通り放送を聞く人。放送を聞いて受信報告書を送ると貰えるべリカードを集めたりしてました。

僕はもともと本を読むのが好きだったんですが、本を読みながらだとテレビは見にくいし、音が無いのも寂しい、とはいえそんなに小さい家で、シングルだけしかかからないレコードプレーヤも壊れたままで買ってもらえなかったのでBGMにレコードをかけるなどと言う優雅なことは出来ませんでした。そんなことから自宅にあった小さなトランジスタラジオや使われていなかったのを引っ張り出してきた真空管式のラジオをかけながら本を読むことが多くなりました。初めはラジオは単なる音で本にだけ集中していたんですが、その内ラジオの内容が以外に面白いことに気づきました。時事ニュースやはがきの紹介、かかっている歌は歌謡曲が主でしたが、テレビで見るような最近の曲だけでなく、数年から数十年前の曲まで、知らない世界をのぞくような気がしました。

夏休みや、冬休みなど長期の休みで家にいるときには一日中ラジオを聞いていること多くなりました。朝8時からはMBSにダイヤルを合わせて、「ありがとう浜村淳です」「ごめんやす馬場章夫です」「ホットの歌って当てましょう」昼ご飯を食べた後はABCに移って「ポップ対歌謡曲」「歌謡曲ぶっつけ本番」「おしゃべり横丁ABC」。晩御飯の後はテレビを見ますが落語漫才番組があればそれを聞いて、9時を廻ると「欽ドン」「恵美子の長い付き合い」そして「ハイ浜村淳ですABC」10時から始まるこの番組を聞きつつ最後まで起きていられずに寝ていたんですが、浜村淳にはじまり浜村淳に終わる日でした。と言うわけで土曜日にはOBCで「サタデーバチョン」その流れでオールナイトニッポンを聴くことも有りましたが、たいていはその前に寝ていました。日曜日はラジオ関西を聞くことが多かったです。鈴木美智子の写真をみて絶望的なショックを味わったり、大阪まで「ごめんやす馬場章夫です」の公開放送を何度か見に行き小山乃里子も相当なもんだなと知り、ラジオの人の顔は見ないほうが良いと思う様になるのは、もう少し後のことです。近所の二ノ宮無線開店イベントでラジオ短波の大橋照子を見た時はちょっとほっとしましたが。

そんな有る冬の日、僕は小学6年だったか、それとももう中学生になっていたでしょうか。クリスマスプレゼントにいいラジオを買ってやると両親から言われました。親の言ういいラジオがどんなものか少し懐疑的でしたが、雑誌で見るしかなかった短波ラジオが手に入ると言うのでとてもうれしかったです。親につれて行かれたのは姫路市内のナショナルショップ。ソニーのスカイセンサーにも少し未練は有りましたが、ナショナルのクーガも雑誌の広告で見て欲しかった機種。気温差で少しくもったドアを開けると憧れのクーガがあり興奮しました。ぱっと目に付いたのは大きなスピーカが印象的なクーガ115。ちょっと格の落ちるクーガNo7にしろ、と言われないうちに「これ」と指差しました。案の定と言うか両親は「これでいいのか?」との言葉。ところが「これにしたら」と指をさしたのは上位機種のクーガ118。正直それほど裕福な家ではなかったので定価43800円と目もくらむような価格をみつつ、「この冬何か有ったのか」と一瞬思いましたが、うれしさに深く考えることはやめてBCLラジオを手にいれました。その日の夜、ラジオオーストラリアのワライカワセミを初めて聞いたときの感動は忘れられません。

クーガ118はアナログ式で、ソニーのスカイセンサー5900や少し後に出たクーガ2200のように周波数直読式ではなかったし、周波数デジタル表示なんかとんでもない世界だったので、聴きたい放送局にダイアルを合わせて放送開始を待つ、などと言うことは出来ませんでした。ダイヤル版の数字を見ながら放送局を探す。面倒くさい作業ですがそれがラジオの楽しさを増していたのかもしれません。「ラジオの製作」や「短波」といった雑誌を買って、それを参考に海外の放送を聞くことが多くなりました。とはいっても英語もわからずましてやそれ以外の外国語など言わずもがな。聞くのは日本語放送ばかり。それほど濃いBCLにはならなかったようです。当時貰ったべリカードが何枚か残っていますが、北京放送、ピョンヤン放送、モスクワ放送、ラジオ韓国など(台湾が無い^^;)共産圏の局が多いですが、特にそう言う思想傾向があったわけでもなく、近隣で受信しやすく、宣伝のためか北京放送の切り絵など、おまけを送ってくれる局に受信報告書を送ることが多かったようです。

外国からの手紙が自分当てに届く、その興奮に酔っていたのもしばらくの間。次第に受信報告書を送ることはなくなっていきました。それでもラジオを聞いている時間は相変わらず多かったんですが、外国語の壁は予想以上に厚く、国内中波の遠距離局に興味は移っていきました。雑誌を見て、姫路の星電パーツに行き、抵抗やらコンデンサやらを買って、受信を感度を上げるための部品を作ったりしていたのもこの頃です。BCLブームもやがて下火になり、中学を卒業して高専に入ると柔道部と言う比較的熱心な運動部に入ってしまったためBCLに興味を向けることは少なくなり、またラジオも壊れてしまい短波放送を聞くことは殆ど無くなってしまいました。

再び海外の短波放送に興味を持ったのは就職した後。初めての海外旅行で中国に行き、中国語ポップスに興味を持ち始めたのがきっかけでした。日本では殆ど聴くことが出来ない中国語の流行歌それを聞こうと最新のデジタル式ラジオを買いダイヤルを合わせる日々がまた始まりました。けど、アナログで必死にダイヤルを合わせていたような興奮も無く淡々と変わる数字、また放送内容もさほど面白いものは見つけられず。以前のように必死になることも無く、気が向けばスイッチを入れると言う感じでした。そんな中聞こえてきたのが「RAIN」。雑音に消えそうになりながら聞こえてきた范曉萱の可憐な曲にラジオの良さを少し再認識しました。

とはいえ今はインターネット時代。ブロードバンド常時接続が珍しくなくなり、台湾の放送局が24時間ライブで聞けるとなるとラジオを聞くことは殆ど無くなってしまいました。デジタル式ラジオもアンテナが少し曲がったまま、もうずいぶんとスイッチを入れていません。それでも、BCL、ラジオと言う言葉に少し憧れが残っているのもたしか。時代がもどることは無いでしょうが、またあの頃のようにダイヤルを回してみたいなと思う気持ちが無くなりはしないでしょう。
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