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修学旅行は只今スト中 [学校の旅行]

小学校編
奈良を経由して伊勢に向かう国鉄の修学旅行専用列車に乗るため、僕等は駅前に集合していた。人数を数えてみると足りない。「だれや」「あいつや!」向こうの方からふらふらしながらやって来る自転車の後ろにそいつは乗っていた。「はよこいよ。」と思い見ていると、焦っていたのか自転車が溝に落ちた。おいおい。

専用列車は、機関車に引っ張られた茶色や青の客車。デッキのドアはもちろん手動である。となると、そこから身を乗りだしたりするやつがいる。窓から顔を出したりしてるやつもいる。こういう時対向列車がやって来て、びっくりさせられたりするものだが、今日はその心配は無い。なんせ国鉄は春闘、スト真っ最中。他の列車なんかぜんぜん動いていなかった。列車ひとりで複々線を快調に走る。京都で機関車をディーゼルに付け替え奈良線に入り、しばらくして奈良に到着。鹿とか大仏とか普通の観光を済ませた後。また列車に乗り込む。列車は反対方向に動きだし、夕方伊勢に到着。バスで旅館に向かう。旅館で男子女子は別の棟に分けられた。このとき、別々にされたことより女子の泊まった建物の方が綺麗なことに文句が出ていた。夜、希望者のみバスで土産物屋に行く。なんかみんな変なもん買いよんなあ、とおもいつつ自分は貝殻で作った亀を買う。あいにく雨が降ってきた。

翌日の夫婦岩までの散歩は傘をさしてのものになった。その後伊勢神宮伊勢志摩スカイラインを通り、同じく専用列車で帰途につく。帰りは疲れていたのでみんな静かにしていたが琵琶湖が見えたのは覚えている。


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中学校編
新幹線にのる練習、まさか自分がそんなことをさせられるとは思っても見なかった。グラウンドに線をひいて、「ハイここが自分の席」「ちゃんと並んで」ああはずかしい。姫路から新幹線に乗り込むが駅に僕等以外の人影は少ない。小学校の時に続いてまた国鉄ストの真っ最中。修学旅行専用列車だけが運転される状況になっていた。列車は他に走っていないのに、僕等の乗った列車は律儀にダイヤ通り駅に停まっていく。博多駅の筑紫口に降り立つ。ここからは三日目にまた新幹線に乗るまで西鉄バスのお世話になる。まず最初の関心事はガイドさんがどんな人なのかと言う事。他のバスと比べて、自分らのバスのガイドさんが一番可愛い、よしよし。

バスが動きだしガイドさんが「皆さんは姫路から来られたんですね。」というと、いきなりブーイングの嵐。ガイドさんもびっくりしていた。ガイドさんの話す「ひめじ」の、「ひ」にアクセントがあったのだ。僕等は普通平板に「ひめじ」になる(多分、音声学とかではどうなのかよく分かりません)、というかそれ以外のアクセントで話される言葉を姫路とは認識出来なかった。そのころの僕等にとっては、姫路は平板に話される「ひめじ」でなければいけなかった。この「ひめじ」のアクセント、テレビでも「ひめじし」と市が着く場合を除いてまだまだ不自然な場合が多く、「ちょっとなー、それちゃうで」と思う。電車に乗っていてJR西日本のくせに「つぎは、姫路です」の「ひめじ」で、「ひ」アクセントがあるとと車掌さんに説教しに行こうかと思ってしまう。(ってしたことないですが) ガイドさんにも、正しい「ひめじ」の発音を覚えてもらい、バスは虹の松原、西海橋と走り長崎に着いた。駅前に有るビルの旅館がこの日の宿だった。

上にかかった餡まで冷たくなった皿うどんもついた食事を終え、風呂に入った後、僕等は素直に先生の言いつけ通りどこへもいかず部屋で遊んでいた。遊びといっても、ジャンケンに負けるとエッチな本と同じポーズをとる、というくだらなく、健全な夜を過ごしていた。僕は寝たがりなので、早く寝るつもりだったがなんやかんやで寝れずにいた。そして四時か五時ごろ皆で歯磨きに行こうと言う事になった。洗面所で仲良く歯を磨いていると、先生がいっぱいやって来て怒られてしまった。最初はこんな時間に歯磨きすると他に迷惑なので怒られたと思っていた。けどそれにしては大勢で熱心に怒っているのでおかしいなと思いよく聞いてみると、「あんたらはなんにもしてへんゆうても、世間はそうみてくれへんのや。」「へっ?」どうやら、夜、女子と部屋を行き来した事を言っている様だが、ただへやで少ししゃべっていただけで、あれで何か有ったといわれても実感が無い。それにもう大分前のことで、今更なにを言う、という感じだが、先生もついに切れたというところか。少し眠たくなってきた。

二日目は島原からフェリーに乗り、熊本、水前寺公園を見た後、阿蘇内牧温泉へ。旅館の人ににこにこしながら「修学旅行は単価が低くてたいへんです。」とか言われる。さすがに眠たくなったのでこの日は皆とっとと寝てしまう。三日目阿蘇山へ行ったあとは高速道路で一路博多駅を目指す。高速道路を走っているのは退屈で仕方がない。寝てしまっていいのだがなにか名残惜しい気がして起きていた。博多駅に到着しガイドさんともここでお別れ。相変わらずストは続いていて新幹線改札前も閑散としている。ふとみると先生が誰かと話している。なんや、と思ってみているとNHKが改札はいるところを撮らせてくれと言っているらしい。まあ断る必要も無いのでOKになったが改札を通る時みんな余所行きの顔をしていた。どうせTVに映ることも無いか、あっても福岡ローカルやろと思っていたら、全国放送のニュースセンタ9時にうつっとったで、と言うのが次の日の一番の話題になっていた。

決戦??明石vs舞鶴 [学校の旅行]

近畿7高専によって行われる高専体育大会。その柔道競技が行われる朝、僕とS君は舞鶴市内から試合会場である舞鶴高専に向かうため二人でバスを待っていた。個人戦に出場するYdさんが体調を崩し昨夜診察を受けた。結果たいしたことはなかったのだが、翌日薬を取りにきてくださいとのこと。医院が開くのを待っていては試合に間に合わない恐れがあるので、おまけでついて来ていた僕たちが、薬を貰いに行っていたのだ。バス停横の歩道に腰を下ろしてぼーっとしていると、S君に「なに旅行気分になっとんど。」いわれた。たしかにそうだった。この時の明石のメンバーは充実していた。団体戦で全国2連覇を果たした主要メンバーがそのまま残っており、レギュラー5人を含む5年生7人は最高の状態にあった。近畿では楽勝、全国でもまず大丈夫だろうというのが大方の見方だった。そんな中で試合にからむ可能性のまずない僕は、まさに旅行気分だった。

試合は各チーム5人による点取り試合で行われる。まず全7チームが3チームと4チームに分かれてのリーグ戦を行い、そこから各上位2チームが決勝トーナメント戦に進む。そして、その優勝チームが仙台での全国大会に出場となる。遅れて到着した僕たちが軽く体を動かし終わったころ予選リーグが始まった。突然僕は「舞鶴との試合に出ろ」と言われた。少し緊張はしたが僕は負けても四勝一敗まあべっちょないやろ、と言う気分だった。実際試合は明石の圧勝に終わった。

その後も順調に勝ちつづけ、決勝戦は地元舞鶴との試合になった。予選リーグで僕が出た試合の相手。決勝戦進出というので、舞鶴の学生が集まって来ていたが、地元の有利さというのを考えても、明石の圧倒的有利は変わらないように思えた。試合開始前のメンバー表交換が終わり発表を聞いた時、僕はおやっと思った。これまでずっと中堅、大将に置いて来たポイントゲッター二人が先鋒、次鋒に入っていた。なんでかな、不思議だったが、まあ大勢に影響はないことに思えた。まもなく先鋒のSさんが試合を始めた。大学生も含めた県の学生選手権を制したこともある、一番のポイントゲッターである。早いうちに勝負を決めてしまうつもりかな?旅行気分濃厚な僕の気持ちはもう仙台に飛んでいた。

「一本!」の声が響く。畳に背中を着けていたのは意外にもSさんだった。沸き返る舞鶴応援団とは逆に明石は少し動揺はしていた。次峰Mさんはゴールデンボーイともいわれた選手。普通なら安心して見ていられる試合である。ところが、Mさんの体が宙に舞った。「一本」主審の声が舞鶴選手の勝利を告げる。「うそっ」呟きがもれた。舞鶴応援団は勢いづいていた。周りがすべて舞鶴を応援する中、僕等も声を出しつづけた。しかし、声を出しつつも頭の中は普通ではなかった。「これは夢や。こんなことがほんまにあるはずがない。目が覚めたらすっきり仙台行き決定なんや。」

もうあとがない状態で試合に望む中堅はFさん。その風貌と同じく鋭く攻撃的な柔道をする。追い詰められた状況であっても、実力を出せなくなるようなタイプとは思えない。大丈夫、けど不安は残る。ぼんやりした意識のなか応援を続ける僕の目に、試合場の一番離れた所で一瞬Fさんが浮いたのが見えた。息を呑む。「いやまだや、一本ちゃう。」これでFさん本来の動きが戻ったのか。「一本」今度は明石の勝利だった。

副将Yrさんは安定度では一番である少なくともここで終わることはないだろう。奇妙な雰囲気もだんだん普段どうりになって来ていた。結果は順当なものだった。これで2-2になって大将戦、いつもは先鋒で切り込み役を努めるOさんがここにいる。相手は奇しくもOさんの中学の同級生だった。試合前Oさんは「立技なら相手が、寝技なら自分が上だった」そういったそうだ。お互い相手を分っているだけにぎりぎりの駆け引きの中試合が進む。そして、一瞬の間合いで舞鶴の選手の足払いが飛んだ。スローモーションのような流れの中Oさんの足がそれをかわす。そして、相手の足を追いかけ、追いつき、捕らえた。Oさんの足が舞鶴の選手を払う。相手の体が崩れ畳に落ちる。「寝技に!いや一本や!」主審の手が真っ直ぐ上に挙がっていた。

「よっしゃあー終わった。」長い試合だった。疲れた。けど終わってみれば楽しかったかも知れない。その日はずっと、なにかどきどきしながら試合結果を思いかえしていた。

*注)この話は全くの個人的観点によるものであり、また記憶を頼りに書いているので事実と異なる場合があります。

高専 [学校の旅行]

[高専大会]
「かば」が柔道着を着たワンポイントの入った白の半袖Tシャツ,ねずみ色のジャージ、そして色とりどりのビーサン。これが高専大会へ出掛ける時、柔道部の制服だった。普段、近くの学校や、大会に出る時は学生服だったのに、毎年夏休みに行われる高専大会の時だけなんでか。スポーツ刈りに、いかにも柔道部という体つきの集団がそんな恰好をしていたら、絶対よけて通る。この服装も僕等が卒業したあと、学校側のお達しで中止になり、普通の服装で行くようになったらしい。なんと幸運な後輩たち。

-近畿大会-
近畿大会というと結構凄いようにも聞こえるが全部で7校だった。
・舞鶴
決戦??明石vs舞鶴
・熊野
団体で全国大会3連覇のメンバーが抜けた1年目。僕等は気合入ってました。1日目順調に団体優勝を決めた後、鬼ヶ城へ。余裕を持って望んだ翌日の個人戦ではいまいちの戦績。(これについて言いたいことはいっぱいあるが自粛)


-全国大会-
・広島
おまけで初めて全国大会に連れていって貰った。一人だけ旅行気分だったか、路面電車が印象的だった。M先生の彼女が来ていた気がする。
・仙台
・富山
全国3連覇と言うので明石の名前も大分売れてきた。全競技合同の開会式、優勝旗返還のセレモニーに、明石の主将は柔道着に裸足で登場。会場から「おーっ」と言う声がもれる。別に気合が入ってるからやなしに、Tシャツにビーサンはいて壇上に上がるんはまずいやろ、というだけなんやけどお。
この時の大会は富山の何とか記念の一貫として開催されたため高専大会にしては地元も盛り上がっていた。テレビのニュースでも放送され、「・・・富山高専は三位でした・・・」優勝したんはどこじゃい。
・和歌山

[高専バスで見学会]
一説には、恥ずかしくて窓から顔をだし騒げないようにとまっ黄黄にペイントされた、高専バスに乗り込み、近くの、工場、発電施設、イベント等の見学に行くことがあった。多々良木の揚水発電所等はは割と面白かったが、どちらかといえば楽しみだったのは、工場で昼飯出してくれるかな、どんなんかなと言うこと、そしてなにより何時に戻ってくるかだった。僕は柔道部に入っていて、普段の練習は大体16:30から2-3時間だった。学校内では割と練習の厳しいクラブで、遠くに出かけて帰りが遅くなりそうなとき、他の皆が文句を言っても、柔道部員だけは、よっしゃこれで乱取り一本分楽できる、とか思っていた様な気がする。帰りの渋滞など大歓迎である。もっとも練習開始前に戻って来ることが、多かったとは思うが。

[研修旅行]
一年生の時、淡路島の青年の家と言うところに行った。雨でカッターの実習もなくなり、単に施設に閉じ込められてただけ。まあこういう施設に楽しいことはないですが。
二年生の時、但馬の兎和野高原へ、バスガイドさんが可愛かった記憶がある。

[研学旅行]
5年生の春、東京方面へ、

中学校 [学校の旅行]

[臨海・林間学校]
一年の時は日本海側、諸寄海岸の民宿で一泊。姫路から鈍行列車に乗って4時間ちょい(だったか?)。学校行事とはいうものの堅苦しさはなく、漁村の雰囲気を楽しみながら、遊びまくっていた気がする。宿の雰囲気、食事も満足いくものだった。
ところが二年の時にはY町に何とか教育センターと言うのが出来てしまい、そこに行くことになった。面白いわけがない。

[秋のバス旅行]


・一年生
京都嵐山
ほんまは、井倉洞に行くはずが、事情により京都。鍾乳洞って入ったことないから行きたかったのに。嵐山でピン球野球をしたような記憶がある。(違うかもしれん)

・二年生
倉敷・岡山


[修学旅行]
九州は長崎・熊本方面へ一泊二日の旅。国鉄ストの中新幹線の専用列車で行く。

小学校 [学校の旅行]

[一学期:潮干狩り遠足]
毎年春には、全校生徒で、約5kmを歩いて白浜海岸まで潮干狩りに行っていました。5年生だったか6年生だったかはよく覚えてないですが、入学したばかりの1年生を引き連れて行く役で、その時にはすこしお兄さんになった気がしたもんです。ちっちゃいのもいますし、全校800人程がうだうだしゃべりながら歩くので、約2時間かけて白浜に到着。潮干狩りは、一人で取れる量も決まってたし、あさり自体あまり子供の好む食べ物でもなし、アサリの酒蒸しが好物の小学生なんてあまり聞かない。というわけですぐ飽きてしまい、そのあとは、クラゲを拾いに行ったり、ふじつぼを剥がそうとしたりしてました。帰りはさすがに疲れてバスで学校まで、なんか車内がどんよりとしていた記憶があります。

[二学期:秋のバス旅行]
・一年生
姫路動物園??
はっきりした記憶がない。

・二年生
神戸須磨水族館
港めぐりの遊覧船に乗るつもりが雨で中止になった様な気がする。

・三年生
神戸須磨離宮公園??
王子動物園にいくつもりが雨で中止になった様な気がする。

・四年生
岡山後楽園・鷲羽山


・五年生
鳥取砂丘
鳥取県立博物館などを見た後、砂丘へ。一番急な所を選んで競争で砂山に登る。てっぺんまで来た時にはかなり疲れて、もうこれ以上はいかんとこと思った。けど、調子に乗って砂山を超えて波打ち際まで降りていってしまい、振り返ると巨大な砂の壁が。自分だけよー登らんと置いていかれたらどーしょーか真剣に悩んだ。

・六年生
春、修学旅行に行ったので学校で留守番。

三学期:裏の山一周遠足]
小学校の裏山を山に登らず、ぐりっと回って反対側にある神社まで。この時には、ビニール袋に入ったお菓子の詰め合わせが配られました。一応同じような物が入っていますが、微妙な違いがありなかなか悲喜こもごも、特にチョコボールの金銀のエンゼルが誰の所から出るかは注目されてました。

[修学旅行]


奈良・伊勢一泊二日の旅


[その他]

五年生の時太尾山のキャンプ場へ
キャンプの定番、飯盒炊さんでカレーを食べる。お代りしてる時ズボンのケツが破れてるのに気づいた。ちょっと恥ずかしい。
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