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1998 GWビートル2とセマウル(4) おわり [旅行記 海外]

5月 4日(水)
 今日は韓国最後の日になるのだがだらだらと目覚める。9時頃までベッドでう
だうだしたあと9:30チェックアウトして,地下鉄明倫洞(みょんにゅんどん)
へ向かう。西面(そみょん)迄350ウォンの切符を買い高架のホームに上がる。
東莱(とんね)をすぎると地下に潜り西面着。CD屋を2件ほど回りCD3枚と
テープ1本を買う。暫くうろついたあと地下鉄で,南浦洞(なむぽどん)へ行き
付近をうろうろ。地下街で道を尋ねられたようだが判るわけがない。やっぱりち
ょっとぐらい話せたらなあ,と思う。又来ることになるだろうし。チャガルチか
ら中央洞(ちゅんあんどん)まで地下鉄に乗り,釜山駅(ぷさんよく)迄歩く。
途中ロシア語が氾濫している通りがあった。呼び込みも結構やっていたが,僕は
全く無視された。釜山駅西側の中華街で漢字の看板にひかれて一軒の中華料理店
に入る。しかしメニューはハングルだけ。御飯と言う意味の「ぱぷ」と言うハン
グルは何とか判るので,最後に「ぱぷ」と付いた中から1つ選び「これっ」と指
差す。すると店の人が「おむらいす」と言う。中華屋でおむらいす,もないので
となりのを指差し,「こっち」と言った。何が出てくるかと思ったが,シーフー
ドチャーハンでまあ美味しかった。結局これが今回韓国最後の食事になった。

 そろそろ国際ターミナル迄行こうと思う。歩くのもめんどくさくなって釜山駅
前から中央洞(ちゅんあんどん)まで地下鉄に乗ることにする。自動販売機のボ
タンを押し,「350」ウォンの表示が出ると急に横から若い女の子が何か言っ
てきた。「350ウォン」と言うのだけ判ったのだが,手に切符を持ってるし,
どうやら「間違えてもたんでこれ買うて」と言うことらしい。僕は頷いて350
ウォン渡そうとしたのだが小さいのがなく,ちょっと手間取って500ウォン渡
した。その娘はちょっといらいらした感じで,切符と150ウォンを僕に渡して
とっとと自動販売機に向かった。僕はもうちょっと愛想ようしてもええんちゃう
と思ったが,急いでいるようだったし,ひっとしたら韓国語でお礼を言ってるか
もしれないし,それにわりと可愛いかったので許す。
 
 12:20頃釜山港国際ターミナルに着いた。早速チェックインしたが2階禁
煙席窓側の席はもう全部埋まっていた。キャンセル待ちのリストにも10数人の
名前が並んでいた。14:00の出航1時間前に出国手続き開始。もう今から関
釜フェリーに乗るため並んでいる荷物を避けながら手続場に入る。免税店も大賑
わいある。今日は完璧に満席のようだ。5分程後れて出航。1.5mの波,と言
うことだったがそんなに揺れたようでもなかった。順調に航行して16:00頃
博多港に入港。早めに下船したつもりだったが入国審査場にはもう長い列が出来
ていた。右端一列が外国人用,その他が日本人用で,女性の係員が「日本人の方
はこちら,外国人の方はこちらへ」と案内していた。日本人用の列に付くと,「
在日韓国人は?」と尋ねる声がした。どちらでも,と言う答えだった。

 税関でも時間がかかり,これまでなら5分もかからずに通り抜けていたところ
がターミナルの外に出ると16:25になっていた。ターミナル前左手に西鉄バ
スが停まっている。博多までの無料シャトルバスだ。既に空席は一番後ろにしか
残ってなかった。まだ後から来る人も大勢いて補助席をだしても乗り切れないよ
うだった。この間天神経由の吉塚行き西鉄バスが入ってきたがこちらに乗る人は
いなかった。のれない人が,運転手さんともめ,16:30発車が少し後れる。
博多からの列車の時間が気になるようで,車内もちょっとざわざわしてきたが,
16:37発車。10数人の人が残されたようである。しかしGWなんやしどれ
ぐらいの人がシャトルバスに乗るかぐらい調べて手配してないんかなあと思う。

 約10分で博多駅着。少し発車が後れたせいか,改札口へ走る人もいた。今
日の博多はどんたく,博多駅の周りでもイベントが行われており,大勢の人が
祭りを楽しんでいるようだった。博多の街からは韓国に負けないほどの熱気が
感じられた。ぶらぶら歩きながら,韓国と日本,それぞれの文化を持ちながら,
やっぱり同じアジアの人なんやなと考えていた。

                            -おわり-




1998 GWビートル2とセマウル(3) [旅行記 海外]

5月 3日(火)
 9:30ソウル発のセマウルで慶州(きょんじゅ)へ向かうので1時間前にソ
ウルに着くようにと,7時過ぎチェックアウト。仁川(いんちょん)駅へ。どう
せ混むしずっと立っていくかな,と思っていたが仁川ではがらがらだったので座
る。東仁川(とんいんちょん)では大勢乗ってきたがまだ立つ人はそんなに無い。
僕の周りには何か女性が多いなあと思っていた。それも結構可愛い人が。らっき
いと感じていたのだが,その後いくつか駅についても乗って来るのは女性ばかり。
ちょっと変やなと,隣の車両を覗くとあっちは男性が目立つ。朝ラッシュ時は女
性専用車でもあるんか?と思ったが,仁川から乗ってきたおっちゃん2人がちょ
っと離れた所に座っているし,そんなことないよなあと,そのまま座っていたら
おっちゃん2人は間もなく下りて,見るかぎり男は自分だけになってしまった。
電車はどんどん混んできて今更この中をかき分けとなりにいくのもなんやし,じ
っとしていたが,若し何か言われたら,わかりませんは「もるげっすむにだ」で
よかったよなと思いつつ結構緊張してしまった。ちゃんと下りられるんか言う心
配もあったが,ソウル駅(そうるよく)では結構人の流れがあり無事下車。ほっ
とした反面やっぱりちょっと残念な気も。

 ソウル駅の周りを少しうろうろしてから9:15頃ホームに下りる。指定の座
席は3号車32番通路側だった。まわりにはやっぱり日韓共同切符を持った人が
多い。今度は座席のトラブルはなかった。大田(てじょん)過ぎた頃,11時を
少しまわった頃食堂車に行く。席につくとウエイターさんが「食事ですか?」と
日本語で尋ねてくる。釜山(ぷさん)からソウルに向かう時の食堂車でも日本語
で話かけられた。日韓共同切符の指定列車だから日本語のできる人を当てたのだ
ろうか。韓国からの旅行者に対する新幹線の受け入れ態勢はどうなっているのか
なと思う。前回はプルコギ定食だったので何か別のもんにしょ,と思いメニュー
を見ていると「TODAYS SPECIAL」と言うのがあったので注文する。
内容は牛肉の焼き肉定食の様なものだった。僕の前では,韓国人のおばちゃんグ
ループがコーヒーを飲みながら雑談している。そのうちお湯を貰っていたようだ
ったので何をするのかなと見ていると,持参のお茶か何かを飲み出した。勿論お
湯は只だと思うので,さすがおばちゃんパワーは何処でも凄いもんだと感心する。
ちょっと疲れていたので席に戻ってからは殆ど寝ていた。東大邱(とんでぐ)か
ら慶州(きょんじゅ)までは初めての区間だったので,起きとこ,と思っていた
のだが寝ている方が気持ち良かった。

 13:41慶州(きょんじゅ)着。改札を抜けると駅前広場は観光バスやらで
大混雑。以前(91年11月末)釜山(ぷさん)からのムグンファ号でついた時
は,下りた途端観光タクシー運転手に自分の取り合いをされたほど観光客が少な
かったのだが,さすがGW。出迎えのカードを見ると日本語ばっかりである。バ
スの間をすり抜けすり抜け,駅前広場をで商店街を歩いてみる。前は観光タクシ
ーに乗ってしまったので今日はゆっくりと歩くつもりだったが,雨が降ってきた。
それも結構強くなってきた。傘はあったが3段折り畳の小さな物で体半分しか隠
れない。びしょびしょになりそうだったので,古墳をちょっとだけみて,高速バ
スターミナルへ向かう。発車2分前にターミナルに着き,14:30の釜山行き
高速バスに乗る。指定の座席は18番だったが空いている19,20番の座席に
座る。雨で見通しは良くなく前面のガラスも曇ってきた。ところがバスはそのま
ま窓を拭くこともなく走り続けて高速料金所に入った。おいおいと思っていると
料金所を抜けたとこで道路脇に停車し,クリーナをつけて窓を拭いてくれた。ほ
っとしたが,かなりの高速で飛ばすのでやっぱりちょっと怖かった。高速を下り
て市街に入ると渋滞していたが1時間20分程で東莱(とんね)の釜山高速バス
ターミナルに着いた。

 今日は東莱(とんね)の温泉で泊まるつもりだった。高速バスも東莱(とんね
),温泉も東莱(とんね)だったのでこの近所にホテルもあるやろと思い歩いて
ターミナルを出た。近所にホテルは有るのだが温泉という感じもなく,ガイドマ
ップに載っていたようなホテルも見当たらない。暫く坂を下って,地下鉄東莱駅
に出ると高架の線路に添った広い道路に温泉場という表示がある。これに従って
雨の中を結構歩いてやっと温泉場に着くとそばに温泉場(おんちょんじゃん)と
言う地下鉄の駅がある。東莱駅から2駅。地下鉄に乗ったらよかったと思ったが,
もう遅い左半身はびしょびしょである。。東邦(とんばん)ホテルと言うのが有
ったので入る。びしょ濡れの姿を見て「雨ですか」と笑われてしまった。

 部屋に入ってシャワーを浴びたあと窓の外を見ると高架を地下鉄が走るのが見
える。釜山(ぷさん)の地下鉄は何両編成かいまいち判ってなかったので数えて
みると8両だった。やっぱり8両でよかったか,と思いもうしばらく見ていると
6両編成が走ってきた。2種類有ったわけや,ちょっと意外だった。

                                 つづく



1998 GWビートル2とセマウル(2) [旅行記 海外]

5月 1日(日)
 9時頃ホテルをチェックアウトし,地下鉄で西面(そみょん)から釜山駅(ぷ
さんよく)へ向かった。喉が乾いたので駅の自動販売機でカップのジュースを買
う。200ウォンで400~500ウォン程度の缶ジュースより安く何度か利用
したのだが「氷なし」のボタンを押さなくても氷が出てこないことが多い。今回
もそうだった。9:40ごろ駅の左手にあるセマウル乗場に行く。改札のドアは
もう開いており,切符のチェックも特になくホームにはいる。指定の3号車には
もう10人位の人がいた。左手窓側の19番席に座ると間もなく弁当を売りにき
た。遅く迄寝ていて朝食が未だだったので買って早速食べ始める。冷たいお茶付
で4000ウォン,中身は幕の内風で漬物がちょっと多くもっと御飯が欲しいな
とは思ったが中々美味しい弁当だった。食べ終わっても未だ発車10分前。弁当
の空捨てがてらホームに下りてみた。車内に戻ると日韓共同切符のシャトルバス
で来たらしい人が大勢乗ってきてわいわいやっているが,何か様子が変。どうや
ら座席の重複があったようで,日韓共同切符分と韓国内発売分でかなり重なって
いるみたいだった。僕の座席にもだれか来るかな,と思ったが其はなく隣の20
番席も空いたまま発車。間もなく車掌さんの指示で座席の調整はついたようだっ
た。

 東大邱(とんでぐ)を過ぎたところでちょっと便所でもいっとこ,と前方2号
車の方に歩いていった。けどこちらにはトイレは無く2号車を通り抜けて食堂車
に着いてしまった。「どうぞ」と言われ,昼は食堂車で取るつもりだったし,ま
あそんなにしたかったわけではなかったので席に着いた。さっき弁当を食べたと
こだったが,初めてのセマウル食堂車だったのでプルコギ定食を頼む。座席車の
様に高い背もたれが無い分すっきりしているし,テーブルに肘をついて窓の外を
見ているのもいいもんである。窓外の景色だが,どうもこれまでと様子が違う。
何かな,と思っていたが緑が多いんである。これまで韓国に来たのは何れも11
月,12月と言う秋から冬にかけて。韓国は山の緑が寂しいなあ,と言う印象を
持っていたのだがなんとも間抜けなことだった。

 大田(てじょん)を過ぎたあと天安(ちょなん),永登浦(よんどんぽ)に停
車し,漢江(はんがん)を渡り14:16ソウル着。飛行機でくればあっと言う
間だが出発してから3日目。はるばるきたな~という気持ちでホームを踏みしめ
る。低いホームと広い構内に大陸的な感じがする。

 ソウル駅のから市庁近くのホテルまで歩く。途中ちょっと道に迷うが15時頃
到着。ホテルで少し休んだあと街へ出る。夕食はロッテデパートの食堂街でとん
かすかれー(カツカレー)を食べたあと駅の食堂で1分もたたずに出てきたビビ
ンパを食べる。折角韓国に来たんだから名物料理でもと思うのだが,一人と言う
こともありいつもの旅行の様に手軽に食べられる物になってしまった。

5月 2日(月)
 9:30頃ホテルをチェックアウト。近くの地下鉄市庁(しちょん)駅に行く。
地下鉄路線図ではここ市庁駅にはハングルの他英語で,CITY HALLと書
いてある。その他ソウル駅は SEOUL STATIONとあるし,乗換駅に
はローマ字が振ってあり,路線別の色分けもしっかりしていて中々使いやすい。
けど,地下鉄は最初の1駅はともかく,続けて2駅3駅乗りたいなとはそんなに
思わない。市庁から地下鉄で清涼里(ちょんにゃんに)に行ったあと東大門(と
んでむん)へ。しばらく地上をうろついたあと駅に戻る。今日の予定ははっきり
してなかったのだが取り合えず仁川(いんちょん)まで行ってみることにする。
窓口で「いんちょん」といって指を一本立てる。来た電車に乗り込んだが赤いラ
インの水原(すうぉん)行きだったので何処かで乗り換える必要がある。ソウル
に来る時セマウルが停車した永登浦(よんどんぽ)が大きい駅だと感じたので,
あそこやったらホームにうどんやぐらいあるかな,と思い永登浦で乗換に決める。
乗り過ごさないように車内の路線図を見つつアナウンスを必死で聞きながら永登
浦で下車。周りを見渡したがうどん屋は発見できなかった。

 水色ラインの仁川(いんちょん)行きに乗換。終点まで行けばいいので,そん
なに駅名を気にする必要はない。車内は中々空かなかったが,仁川の一つ手前東 
仁川(とんいんちょん)で一気にがらがらになる。こちらが中心部らしい。仁川
の手前で一旦停車。何かあったんか,と不安になったが,ソウル方面の電車が通
り過ぎたあとすぐ発車,仁川駅に到着した。

 仁川(いんちょん)駅前はわりと寂しくたいしたものは無かったが,目の前の
る小高い丘のうえに何か建物が見えた。どうやらここがガイドブックにも載って
いた自由公園らしい。ガイドブックの地図に等高線なんか無かったのでもっと平
面にあるもんだと思っていた。登るんめんどくさいなあ,思ったが他に行くとこ
も無いようなので登ってみた。公園内には遠足か何かで来ているらしい小学生で
一杯だった。空いているベンチに腰掛けしばらく休んだあと,公園内を一周して
から登った場所とは別の場所から下りて,また仁川駅に向かう。中心部の東仁川
(とんいんちょん)まで切符を買う。改札口は自動化されているのだが切符は窓
口で買うようになっていた。東仁川に着くと下りたのは僕一人。地下道に下りて
出口に向かう。地下にも改札口は有ったのだが入口専用で,出口は一旦仁川方面
行きホームに出なければならない。不便やな,と思ったが需要が殆ど無いような
ので仕方無いかもしれない。

 東仁川(とんいんちょん)の駅前からは賑やかな通りが続いている。しばらく
行くと見覚えのある通りに出た。さっき自由公園から仁川(いんちょん)駅に向
かう時通った場所だった。こんなに近かったら歩いてきたら良かった。

 また東仁川駅まで戻ってきて,今日はどこに泊まるろかな,と考える。,取り
合えず仁川の駅前に有ったホテルに行ってみることにした。歩くのは面倒なので
電車に乗る。東仁川から仁川行きに乗ったのはやっぱり一人だった。

 東仁川(とんいんちょん)のホームで,コンビニで買ったジュースを飲んだ。
韓国もコンビニが多く言葉の心配もなく買物が出来るので便利なのは便利だが
やっはりちょっと味気ない気もする。喉が乾いていたので1.5l入りのリン
ゴジュースがあっというまに半分以下になってしまった。日本では1l入りの
をよく買うのだが,韓国では何故か1l入りのをみかけず小さな缶ジュースの
すぐ上は1.5lしか見掛けなかった。それでちょっと多いかなと思いつつ買
ったのだが有れば飲むもんである。オレンジ1.5も後で買いその日のうちに
全部飲んでしまった。

 仁川(いんちょん)駅前のホテルオリンポスは少し坂を上がったところに立つ
結構豪華な感じのホテルでカジノも付いていた。高そうやからやめとこか,と思
ったがまあええわとフロントで空室の有無を尋ねる(最初の,あんにょんはせよ,
以外は勿論日本語)。「予約無ですか?うーん。」といわれ,空いてないんかな
と思うが,すぐに「58000ウォン」ですと言ってキーを出してくれた。部屋
は本館より下に立つ別館の一番下の端っこだったが,広いツインの部屋で日本だ
けでなくソウル市内のホテルと比べてもかなり泊まり得なようにに思った。日本
人の観光客も多く泊まっているようだが,ぱっと見だれがどこの国の人かもう一
つよく判らない。

 今度は電車に乗らず,繁華街の方を暫くうろつき,ホテルに戻るとTVをみて
のんびりした。韓国の放送のほか,NHK衛星放送,スターTVの中国語放送が
入った。韓国語は全くだめだし,,外国に来てるのにNHKでもないやろ,ゆう
んで漢字字幕のでるスターTVを見ていたら,自分が何処にいるのかよく判らな
くなってきた。

                                つづく

1998 GWビートル2とセマウル(1) [旅行記 海外]

 今年は韓国訪問の年,一度ぐらい韓国に行きたいなと思っていた。TVの観光
コマーシャルも,なかなかその気にさせてくれた。

 1988年ソウルオリンピックの年日韓共同切符が発売され,日本の時刻表に
韓国の列車の時刻が載った。これで韓国の列車を身近に感じ,その年の11月,
関釜フェリー2泊ソウル1泊で出かけた。それから4回目の韓国になる。
 
 4月26日に日韓共同切符が宅急便で届いた。これで準備は整った。
 これまで,博多-釜山のビートル2で韓国に行ったことは2回あるが,日程の
都合で2回とも仕事終了後,姫路からの夜行で出発し,帰りはビートル2の博多
到着後すぐ新幹線に乗り姫路まで戻る,と言うもので結構慌ただしく感じており
一度博多でゆっくりしたいと思っていた。それで,今回GWに韓国に行こうと決
めた時,最初の1日と最後の1日は博多に泊まってゆっくりすることにした。そ
れでも韓国4泊5日はこれまでで最長になる。

最終予定 
 4月29日 自宅〔兵庫県加古川市〕(JR)姫路(新幹線)博多
   30日 博多(ビートル2)釜山
 5月 1日 釜山(セマウル)ソウル
    2日 ソウル
    3日 ソウル(セマウル)慶州
    4日 釜山(ビートル2)博多
    5日 博多(新幹線)姫路(JR)自宅

4月29日(金)

 加古川9:22発の普通電車で出発。姫路で10:07発のウエストひかりに
乗り換える。ちょっと太い僕にとって4列の普通車はあり難い。
 岡山を過ぎた辺りでビュッフェへ,M-RESTのビュッフェは初めてなんで
楽しみである。シーフードカレーと紅茶を注文する。カレーは味は悪くないが量
が少ないかなと思う。福山停車中に席に戻ってちょっと眠る。
 定刻13:07博多着。今日はまだ乗ったことのない博多南線に乗って,あと
はゆっくりするつもりである。

4月30日(土)
 ビートル2の乗船手続きは8:30からだと思ったがGWで混むだろうし窓際
の座席にしたいので少し早めの7:00ごろ博多のホテルをチェックアウトする。
博多駅のパン屋で昼食用のパンを買い込み地下鉄に乗る。中洲川端で乗換,呉服
町で降りここから海側へ歩いて約20分,博多港の国際ターミナルが見えてきた。
前来た時はこれがほんまに外国への窓口か?と思うような仮のターミナルだった
ので,なかなか立派になったなー,と思う。隣にも何か建設中の様で何が出来る
か楽しみである。8時過ぎでちょっと早いかなという気がしていたのだが車が何
台か続けて僕を追い越しターミナルに着いた。中に入るともう20人位来ていて
わいわいやっている。91年秋,旅行社のアドバイスにしたがって2時間前に来
てみると人気がなく,今日休みちゃうんか,と不安になったのだが。GWという
だけでなく,ビートル2が定着してきたということなら嬉しい。
 
 日韓共同切符を含めた個人客の乗船手続きはやっぱり8時半からの様で,今や
ってるのは団体の受付だけのようだ。8:10頃おっちゃんが出てきて何か紙を
貼り出した。「本日ビートル2はキャンセル待ち・・」とのことで,なかなか売
れているようだ。8:30ちょい前手続き開始。カウンター前で待機していたの
で1番になったようである。2階25Jの席にあたる。右窓側の席になる。2階
の待合室に行くが,仮ターミナルの頃有った売店はなくジュースの自動販売機が
置いてあるだけ,椅子も少なく何か貧祖な感じがした。9時頃出国手続きが始ま
る。満席の割りには人が集まってないようで,9:10博多駅発のシャトルバス
で来る人も多いのかな,と思う。

 10:00定刻出航。満席のはずが隣の25Hは空いている。右手に志賀島を
見ながら快調に走行中。初めてこのビートル2-ジェットフォイル-に乗った時
は,宇高ホーバー便と比べてもう一つスピード感が無いな,と思ったがやっぱり
速い。1時間程した所で売店に行ってジュースを飲む。海面に近い1階の方がス
ピード感はある。飛行機と違って,ビートル2みたいに小さな船でもこういうフ
リースペースが有る。天井も飛行機に比べて高いし,狭い所がちょっと苦手な僕
にとっては嬉しい。また釜山の国際ターミナルから市街地へも徒歩でいけるし,
フェリーのように一泊する必要が無いのも旅行日数が限られる社会人にはありが
たい。ビートル2が無ければ4回も韓国に来ることはなかったと思う。初代ビー
トルはこけた様だが,こちらはどんどん発展していってもらいたいもんである。

 13:00頃釜山着。入国手続場まで連絡橋を渡っていくのだが距離がある上
階段の上下がある。もう少し何とかならんか,と思う。割りと早い目の順番で手
続きを終え,ターミナル内の釜山銀行で両替をする。4万円が31万ウォンにな
って出てきた。前回92年秋に比べても両替率が高く,円高を実感する。到着ロ
ビーに出るとさすがGWで旅行社やらなんやら出迎えの人で一杯になっている。
ターミナルを出て4度目になる道を釜山駅に向かう。初めての時のドキドキは無
いもんのハングルの並ぶ通りを歩いていると嬉しくなってくる。けど未だに読め
ない。

 15分程歩いて釜山駅に着いた。切符売場が2階に移って寂しくなった1階の
隅の方に2台ほどなにかモニターの様なものが置いてある。画面の真ん中にはど
んと韓国の国旗が表示してあり,そこを押すと何か案内が出てくるようだ。日本
語と英語も選べるようになっていて,試しに日本語を押してみる。するとクレジ
ットカードを通してください,と言う案内が画面と音声でされた。どうも観光案
内ではなく切符の販売機のようでなかなか便利やなと思ったが日韓共同切符を持
ってるし,もひとつ判らなかったのでいじるのをやめた。それから売店で「しが
っぴょちゅせよ」と言う。何とか通じて,時刻表4月号を手に入れる。2000
ウォンだった。

 その後地下鉄で西面(そみょん)へ向かう。自動券売機の使い方-始めにボタ
ンを押してからお金を入れる-はわかっていたつもりだったが,一応人のを見て
から券売機に近づく。地下鉄釜山駅(ぷさんよく)から北へ向かうつもりだった
が気がつくと南に向かっていた。日本と反対の右側通行だし,終着駅が老圃洞(
のぽどん)と西大新洞(そでしんどん)でどちらも,どん,が付くので判らなか
った。幸い次の中央洞(ちゅんあんどん)は島式ホームで反対側につく電車に乗
換ればよかった。ちゃんと老圃洞方面の電車に乗って西面に向かったが気が変わ
って一つ手前のポンネコルで下りて歩いてみることにした。が,広い道が続いて
いるだけであんまり面白くなかった。

 西面(そみょん)に近づくと賑やかになり面白そうな店がいっぱい現れた。ガ
イドマップにも乗っていた大亜(てあ)ホテルと言うのが地下鉄出口の側に有っ
たので今日はここに泊まることにする。明日はいよいよセマウルである。

                                つづく

1999年2月 天津4日間 [旅行記 海外]

1998年末から1999年初めにかけて、仕事が忙しくて少々嫌気がさしていた。前の年は暇だっただけにそのギャップもあった。そんな仕事も2月中頃には一段落するだろうとのこと、こら2日ほど休みをとってどこか旅行にでも行かしてもらわなやっとれんわ(といってもたった2日^^;)ということで計画を立てる事にした。

3年ほど海外にも行ってないし、久しぶりに中国にでも行くかな、中国に行くとしても4日程度ならどこか一カ所やな、それも関西空港から直行便が飛んでいる所が楽でいいかなと、時刻表をながめていると、全日空の天津便が土曜、火曜に飛んでいてうまく利用できそうである。天津なら行ったことがないしいいかもしれない。これにしようと、1月下旬休みの日にチケットを買いに行った。けど飛行機に乗るのは3年振りだし、これまで船で行ける韓国を除いてパック旅行を使う事が多かったので、飛行機の切符をどこで買えばいいのかがよく分からない、取り敢えず神戸三宮のJTBにFITコーナーがあったのでそこに行って聞いてみることにした。すると火曜日に天津から関西空港までの便は無いという。どうも去年の秋の時刻表を見ていたのがまずかったらしい。日を少しずらしてみるとか、考えてみたが、天津往復ではうまくいかない。それならということで、火曜日に全日空の北京からの便ならあるそうなので、料金は少し上がるが、行き天津帰りは北京からと言う事にした。料金は(天津往復+北京往復)/2で5万円を少し切る位になった。ほかの旅行社でも値段とか聞いてみようかなという気もしたが、面倒くさいし、係のお姉さんの感じも悪くなかったので、これで予約を入れて貰うことにする。

さて天津といえば天津丼(JALPACKのパンフレットには本場の天津丼を・・と書いてあったが)、ではなくて、今中国語を習ってる神戸のG小姐と千里のY先生が天津の人である。話を聞いておかない手はない。まずこの日は神戸でG小姐の授業があったので、さっそく、天津に行く事にして今日予約して来たことを言った。それなら、天津にいるの彼女の日本語の先生に連絡をとってホテルの手配とかしてあげましょうか、とのこと。そこまで期待はしてなかったし、ホテルを探すのもいいかなと思っていたが、春節の直ぐ後で不便な事があるかもしれないし、折角だからお願いする事にした。結局気分的にはパックに参加するよりも楽な感じの旅行になった。

2月7日、千里の勉強会でY先生に天津にいくことを言うと、弟さんに連絡とってあげましょうか言ってくれた。これまたありがたい申し出だったが、たった4日間の旅行にそう何人もの人の世話になるのも、と言う気もしてその場では、またあとで連絡させて貰いますと返事してしまった。であとで連絡をとろうとしたら,この間の携帯電話番号変更の時のせいかY先生の電話番号が消えていた。

2月上旬は風邪をひいたり、ついでに雪がふったりで2日ほど休んだし、仕事の工程も少し遅れ気味でちょっと焦ったが、まあなんとか無事出発の日を迎えた。

2月20日(土)一日目


飛行機の出る2時間に空港に着け、と言うのが旅行社の話で、少しくらい遅れてもいいかなとも思ったが、関西空港に行くのも3年振りだし、ちょっと気合を入れて早起きする事にした。朝5時過ぎに家を出、JR普通電車から加古川で湖西方面へ行く臨時の新快速に乗り換える。臨時のせいか4両しかなかった車内は新快速とは思えないほどがらがら。垂水付近で、立ち客もいる快速を、抜いていくのは悪い気分ではなかった。

6:22に三宮に着きバスに乗り換える。6:20の関西空港行きが出たばっかりだったので僕が並んだころ列は短かったが、発車時に車内はほぼ満席になっていた。このバス、開港当初は3列シートでゆったりできていたのに、今は普通の4列シートになってしまっている。バスは途中六甲アイランドのベイシェラトンホテルにより、阪神高速湾岸線で関空に向かう。大阪南港を過ぎるころまでは太陽が出ていたのだが、関空が近づいたころ、雨が降って来た、いやよく見たら雪の様な。げ、こらひょっとして誰かのたたりか。まさかいったん飛んだ、飛行機が引き返してくることはないやろな、と心配したが、幸い大したことはなかった。バスはほぼ定刻8時前に関西空港着。早速引換証とチケットを交換し、チェックインカウンターへ行き搭乗券を受け取る。まだ時間はあるので関空の中をうろつくことにした。

空港に来て見るものといえば、空中小姐に、カウンタの小姐に、案内係の小姐に・・・と。発着の案内表示でも見ながらいろんな所にいきたいなとおもいつつ、売店コーナーにも行ってみる。G小姐の日本語の先生、天津のJ先生に天津甘栗をもっていこうと思ってみやげ物屋を探したが見つからなかった。ちょっと残念である。朝は食べてきていたが、食堂コーナーをうろうろして、ついつい天丼など食べるうちに、出発1時間前、出国手続きをする。関空も思ったほど面白い場所がない、やっぱり飛行機に乗る用事でもなかったら、こんなあ、と思う。出国手続きを済ませた後にも、特に面白いものがあるわけでもなく、暇かと思っていたが、昨日から腹の調子が悪かったのでその処理に時間がかかって丁度いいくらいの時間になっていた。

定刻の25分前、9:35頃、アモイ行きの飛行機と向かい合わせになった搭乗口から機内に乗り込む。今度はあっちの飛行機もいいかなと思う。2月の閑散期だろうしどれくらい乗っているのかなと思っていたが、半分位は乗っているようである。シートベルトを締めると少し緊張する。以前は1週間くらい前から、飛行機に乗ることにしたのを後悔していたのだが、最近では慣れたのかそういう気持ちにはならない。とはいえやっぱりあんまり好きではない。

当日の天気はよく離陸後、窓外には淡路島や明石、加古川付近がよく見える。ありゃ、3年前大連に行った時は、徳島、瀬戸大橋から山陽路を福岡まで行ったはずやのにこんなとこ通るんか、と思って機内誌の路線図を見ると、いまは鳥取県から日本海に出て、朝鮮半島、ソウルの上空を飛んでいくらしい。知らんかった。

着陸も無事済んで、天津空港には丁度定刻の12:05頃着。人数が多いわけでもなく、入国手続きもそんなにはかからない。バスにでも乗って市内まで行こうと思い、ターミナルをぐるっと見回すがバス乗り場らしいものはない。案内所のおばちゃんに聞いても没有ということで、しゃーないタクシーに乗る事にする。国内でもタクシーに乗る事は滅多にないし、空港のタクシーにあまりいいイメージがなかったので、少し身構えるが、天津駅まで事前情報通りの60元だった。駅前を見回してみると、春節らしい飾りつけがまだいっぱいありちょっと嬉しい。 J先生に予約を入れて貰っているホテル、遠洋賓館のビルは直ぐわかった。なんか結構高い建物だ。しばらく駅前でボーとしていたが取り敢えず荷物置いてこう、とホテルに向かう。みためよりちょっと時間がかかった。

ロビーに入ると広く、思ったよりもきれいなホテルだった。フロントのお姉さんにチェックインしたいと告げるが、予約がないとかいわれる。部屋がないわけではなく泊まれるようだが、よーわからんので、J先生に電話をして話をしてもらう。詳しい事はよく分からなかったが、今日はホテル棟が春節で水が出ないので、隣の棟のマンション部分にある部屋に泊まってくれとのこと。明日からは水が出るからホテル棟に移れるらしい。

横浜ベイスターズの佐々木に似たベルのお兄さんに案内されて28階にある部屋に行く。申し訳なさそうに言うからひどい部屋かと思っていたが、二部屋付いてるし、ベッドも広いし、衛星放送が見れるテレビもあるし言う事は何もなかった。しばし休憩し、J先生を待つ。

1時間ほど立ったところでチャイムがなり、意外に若く見えたJ先生と中学生くらいの娘さんがやってきた。今日はもともと娘さんとどこかに行く約束をしてたのかもしれない。申し訳ない気もするが好意に甘えて、市内を案内して貰う事にする。ホテル前からタクシーに乗り古文化街へ向かう。なにやら賑やかで時代劇に出て来そうな建物が並んでいる。年画とか、骨董品みたいなものとか、大勢の人が買っている、僕から見ると珍しいおみやげ品というイメージだが正月には欠かせないものとして、自分のところで使う人が多い様だった。途中にある小さな博物館になっている廟を見学する。結婚式の風俗などに反応するJ先生の娘さんがなんか女の子らしくて可愛い。いくつかの店を覗いて、古文化街を通り抜けたところで、タクシーに乗り市中心部の繁華街へ。何か買いたいものがあるか聞かれるが、荷物の都合もあるので今日は見るだけにしますと言い、いくつかの店を見てまわった。

それにしてもJ先生と娘さんの仲はいい。日本ではこれくらいの歳の女の子は父親から少し距離を置き始める事が多い様に思うのだが。遠くから見ていると恋人同志の様でもある。見ているとJ先生だけでなく多くの親子連れが同じような感じだった。ひとりっ子政策によるものなのか、日本と比べてどちらがいいとかはよく分からない。ただこの様子をみてうらやましいと思う日本の父親は多いだろうなとは思う。しばらくぶらぶらした後そのまま歩いてホテルに戻る。しばらく休憩した後、J先生とはお別れ、後は一人で行動する事になる。

テレビを見たい気もあったが短い旅行なので取り敢えず外に出る。もう一度繁華街に出て歩いていると、何か不思議な感じがした。今朝自宅にいたのに、あまりに早く着き過ぎて意識が切り替わっていないのか、外国に来たという気がしない。どこか見知らぬ土地にいる事だけは確かなのだが、例えば名古屋あたりをうろついているのと同じような気分になる。初めて中国に来た時はそうではなかった。街角の看板一つ、店先の品物一つ一つ珍しくて。漢字ばかりのテレビ画面を写真にとったりもした。なんか慣れてしまったのか、感性が鈍くなったのか。それとも天津が刺激の少ないまちだからだろうか。そんなことを考えながら、腹も減って来たので、ホテルの向かいにある快餐店に入ってみた。まあ無難なところだろうと、鶏肉カレーとミニ豚まんに水を頼んだ。

カレーは人参とじゃがいもがごろごろした昔懐かしい感じ。ただルーが色付きの水みたいで、福神漬けも付いていない。蒸籠に乗った豚まんは小さいとはいえ10 個もやってきた。こんなに食えるんかと思ったが、周りを見てみると、10個をみんなで分けて食べるわけではなくこれで普通の一人前らしい。とはいえ、これはきつそうなんで、持ち帰りのできそうな豚まんは後にしてカレーを優先して食べ始める。おなかが減ってたというのもあって、残す事はなかったが、今回の旅行で残り半分になった後の、このカレーだけはまずかった。

こちらは美味しかったものの、3つ程残った豚まんを手に散歩する。もうすっかり日の落ちた街を歩いているとあちこちから爆竹の音が聞こえて来た。16日が春節だったが、20日になってもまだこんなに盛大にやってんのか、いやあ雰囲気出るなあ、と喜んでいたのも初めのうち。メインストリートから一歩横に入ると、道路の真ん中でいきなり爆竹がなりだす。それも日本でおなじみのサイズのやつだけでなく、お前はダイナマイトかと言うのが街路樹にぶら下がってたりする。身の危険を感じてきた。なるべく爆竹の多そうな通りは避ける様に散歩を続けていたが、いたるところで鳴りだして、どうしようもない。何度もぎくっとさせられながら、ちょっと早めにホテルに戻った。その後も深夜まで爆発音や花火の音があちこちでしていた。あとで聞いたところによると、この日は初五でやっぱり爆竹を鳴らす日らしい。丁度よかったですね、と言われたが・・・、まあよかったのかもしれん。

21日(日)二日目


さてと今日も結構元気である。まずは歩いて、ホテルから北西へ少し行ったあたりの南市食品街に行く事にする。やっぱり地図から予想したより時間がかかるなと思いつつもやってきたが、時間はまだ10時前、ほとんどの店がまだやってない様な気がする。しょうがないからくりっと一周だけして天塔に向かう。初めは時間もあるし歩いていこ、と思っていたのだが市街地の南に位置する天塔はやっぱり遠く途中でくじける。タクシー10元なりを使ってやってきた。そのまま門を入ろうとすると怒られた。切符をかえということらしい。まあそらそうや。大枚50 元はたいて買った入場券は葉書になっていてそのまま送れるような気がする。エレベータで展望室まで上がるとながめはいいのだが、景色にインパクトがない。知っている場所というのがホテルだけだし、例えば北京のように故宮だのという文化財があるわけでもない。普通の見知らぬ街が広がっているだけである。どうもいまいち旅行モードに入っていない様だ。なにか面白いものを見つけようと言う意欲に欠ける気がする。

天塔をきれいに見せるために整備された様な道を少し歩き、水上公園に着いた。まだ11時前、人も少ない様だ。ぶらぶら歩いてみるが広い。なんじゃこの広さはと思いながら動物園にたどり着く。パンダがあんなとこにおるやんけ、と見に行こうとすると1元の別料金がいるらしい。なんかもったいない気がして、ほんならええわと止めておく。すこし昼飯には早いが売店でパンを買って食べる、確かジャムパンと書いていると思ったのにジャムが出てこないと思ったら、両手くらいの大きさのパンに小指の先ほどのジャムが隠れていた。ちょっと不機嫌になる。疲れて来たのかふらふらと虎とライオンのコーナーに入る、ここも別料金がいった。それもパンダの倍の2元である。なんでこんな所に入ったんかなあと思いつつ周りの中国人を見ていたが、カメラのフラッシュは焚くは、食べ物は投げるは、あちこちに書かれた標語が虚しい。

公園内は12時をまわってだんだん人も増えて賑やかになって来た。公園内にカラオケ餐庁みたいなのがあってうるさい。別にカラオケが悪いわけではないし自分も好きなのだが、ここはスピーカを外にも向けているのである。近くを通ると、いやけっこう遠くまで元気な歌声が聞こえる。そんなにしてまで聴いて貰いたい歌なんか、と思うが。えーいへたくそ、そんな歌聞きたくない聞きたくない。それでもさすがに広い公園である。しばらく歩くとそんな音も聞こえなくなった。ええかげん疲れてきたのでしばしベンチで休憩後ホテルに戻る事にした。初めはタクシーでホテルまで帰るつもりだったが、一応道路に出てバス停を見ると8路の天津駅行きがある。しばらく停留所で待っているとバスがやってきたのでこれに乗って行く事にした。運賃は5角で前乗り後降りのワンマンバスだった、切符を買わなくていいのはちょっと寂しい。駅前ターミナル到着後そばに有る香港系らしいデパートのスーパーによってみた。天津の工場で作ったキットカットチョコレートがあったので、会社の人の土産に買っておく。持って行った時の評判は悪くなかった。

ホテルへ戻った時ホテル棟ではなく、マンション棟の入り口から入るのだがここの警備員さんが昨日と変わっていて、お前へどこへ行くんやと聞かれる、ここの 28階に泊まってるという、とまあ問題なく通してくれて、エレベータに乗った。ここで、ボタンを押すところで27階のボタンを押してしまっい、すぐ続けて28 階も押したのだがっまあええかと思っていたら、23階くらいで階数表示のランプが全部消えエレベータが止まってしまった。事故かと思ってびびったが、スピーカからもう一度ボタンを押してくださいという様な声がする。どうやらさっきの警備員が27階のボタンが押されたのを不信に思って操作した様だ。すこしむっとしたが、部屋のキーもICカードが使われていたりして安全には気を使ってるようだし、まあこれくらいでいいのかなとも思った。

テレビを見ながらしばし休憩。その後食事に出かける。やっぱ折角やしダックダックということで、天津[火考]鴨店へ行く。2階は高級そうな感じがするが、一階は快餐部になっていて[火考]鴨套餐が15元、約220円で食べられる。包餅が10枚に[火考]鴨、ネギ、キュウリにスープなどがセットになっていて、結構腹いっぱいになる。ガムが一枚おまけについていたが、[火考]鴨はそんなににおうんかな? 周りを見ているとほかにもいろいろセットメニューがある。特に目立つのが包子セットで山盛りになっている。あれで一人前とは、なんか自分が小食に思えてくる。天津の人と比べて、なんで自分はこんなに体重があるのかよく分からない。味にも満足して天津[火考]鴨店を出ると目の前に天津甘栗屋があった。本場の天津甘栗、それも名前が天津栗子王、なんかすごそうや。一番粒の大きくて高いのを買ってみる。栗を作る作業は日本とほとんど同じ、よく洗った後、ぐりぐり回転する機械に入れて作ってる。味の方は、天津で買ったものの方が木の実、という感じが残ってた様に思う。日本のも天津のもどちらも美味しい。

食後は相変わらずの散歩だが、今日は日が暮れてからもそんなに爆竹音はしない。少なくとも危険な感じはないようである。さて、僕の普段の行動範囲と言うのは姫路-神戸当たりなのだがここの繁華街で東西南北がわからなくなる事はまず無い。多少曲がっていても東西の通りと南北の通りがわりとはっきりしている。そうでない街に来ると方向がわからなくなってしまう。天津でもそうだった、こっちの道は行ったこと無いかなと行って見るた浜江道、こっちは知らんぞありゃまた浜江道、結局よーわからん状態になってしまう。

歩き疲れてちょっと休憩と言う時に喫茶店がほとんどない天津だが、民航ビルの近くをうろついていると、なんとか茶坊と言う店があって、ガラス張りの店内を外から覗いてみると、お茶が色々飲める様で雰囲気もよさそうだった。また後できてみようと思っていたのだが、後からではたどり着けず少々残念。茶坊ではなくて茶座と言うのは他に何軒かあったがこれは中身がよく見えなくてなんか怪しそうだった。

7時過ぎホテルに戻ると部屋を変えますとのメッセージが入っていた。フロントに寄ってキーを換えてもらい、ホテル棟の9階の部屋に移る。荷物を運んでくれたのはまた横浜の佐々木似のお兄さんだった。この人、やる事はしっかりやってくれるのだが、なんかチップを渡そうという雰囲気をしていない。チップはいるかいらないか、ちょっと迷っていたのだが。今度移ってきた部屋は一部屋しかないが、これまた前の部屋と同じくらい広い、バスルームは前より広い。昔東京の某ビジネスホテルがツインだと言い張った部屋だとバスルームに入ってしまいそうである。

休憩後もう一度街へでて、お菓子などを買ってきて、テレビを見ながら食べた。いや幸せである。

21日(月)三日目


この日は、とりあえず買い物の日,と言うことにして、いろいろ店を回ってみることにした。まずは音像店でCDかテープでも買おうかなと、手近な所に入ってみる。3年前の大連ではテープが殆どだったのが、今の天津ではVCDが主流になっている。値段もテープよりは高いもののCDと比べると半額以下のようである。

今、僕の家でVCDを見ようとすると、3年前に買ったパソコンの片隅にカクカク動く画面と、ディスプレイ横から出る情けない音を聞くしかないので、VCDはあまり買う気はなかったのだが、VCDのほうがお得の様な気がして来た。7枚100元で映画のVCDを何枚か買う。どんな映画が流行ってるのか全くわからなかったので店の小姐に選んで貰って、「不見不散」とか、「黄飛鴻西域雄獅」とかにする。他の店にもよって孟庭葦ものも探すが、音楽ものは品ぞろえがもうひとつ良くない。結局VCD2枚だけ買った。電器店も行ってみた。VCDプレーヤは1000元くらいからで、今流行ってますと言うようなスペースをとっている。一瞬買うてかえろ、と思うが、重そうだし、電源が合わなくてめんどくさそうなので我慢する。

昼食にはまた天津[火考]鴨店に行く、前日と同じ[火考]鴨套餐を注文し、日本で [火考]鴨を食べようと思ったらこの10倍はするやろなとじっくり味わう。

ところで、今回街をうろついていてなぜか目についたのが夫妻用品、いわゆる性関連の商品を扱う店だが、特価高級自慰機とか書いた紙を入り口のところに張ってる様な店がごく普通に街のあちこちにみられ、そういう店はなぜか大抵店先で音楽を鳴らしてる。雑貨屋でふとみると、お菓子と並んで保険套が無造作にぶら下げられたりもする。その手ものとしては、日本の方がもっと凄い物が簡単に手に入るのだろうが(よくしりません^^)、感覚がちょっと違うのか、なんかちょっと恥ずかしい気もする。そういえば音像店でも映画や音楽VCDと並んで"夫妻のための愛の技巧"とか、"性病の知識"とかいう教育用(ほんまか)のVCDがかなりの場所をとってたりする。この手のVCDを話の種(ほんまに)として、ある店でちょっと買う気になったりしたが、店員が女の子だったんでやめた。

昼食後、ホテルにかえって少し休憩し、午後からは、折角中国に来たんやからやっぱり中文の歌は歌いたいな、とカラオケ店を探す。J先生は友誼賓館にあるスナックが日本語も通じるし、いいですよと勧めてくれたが、高そうなんで遠慮しておく。繁華街を歩いてみると、入り口に値段を明記した店がいくつかある。午後の時間帯だと少し安い値段ところが多い。その中から適当に、海河沿いにある歌舞庁に入ってみた。店のお兄さんに値段を確かめた後25元払って中に入る。なんか真っ暗でよーわからんがテーブルに案内されローソクの明かりを頼りに曲を探す。が、古い、最新曲と言うのが97年のものでそれもディスク1枚分しかないようだった。しょうがないので孟庭葦の「冬季到台北来看雨」など3曲を選ぶ。中国で亜亜の曲が一曲も無いことは考えられないんで、その点は安心できるが。ま、なにはともあれ気持ちよく歌えたことは確か。

歌舞庁を出た後、雑誌スタンドで雑誌、新聞を購入。どれを買うか迷っていると、お姉さんがVCD付の音楽雑誌を買っていく、月2回発行の「青春之星」と言う雑誌で、ちょうど最新号と、一つ前の号が一冊ずつ残っていたので買う。その後、しばらく歩いていると脚がいたくなってきた。いったんホテルへ戻るが、疲労というより、段差のあるところでこけそうになった時痛めた様で、無理しない方がいいかなと思う。とはいえ晩飯がまだなのでやっぱりもう一度街へ出る。夜になると屋台の食べ物屋がでる通りがあって、J先生も美味しいですよとのことなので、そこに行ってみる。10軒少々の攤子が並んでいて多くのひとが食事をしている。基本的には立ち食いのようである。一番人気は炒麺のようで3軒ほどあり、他に伊大利麺、串カツ、雲南米線などどれも美味しそう。とりあえず見た目一番美味しそうな炒麺を一番元気なお姉さんが呼び込みやってた店で買う。4元で量は結構ある。味もまあまあ。ウスターソースを掛けたいきもしたが、贅沢かも知れん。腹は膨れたが、もひとつ何か食べてみようと言うことで、担担麺と宮爆羊腸?で迷う。爆発しそうなほうを選ぶが、辛いのんいれるかと聞かれたんで、入れると言ったがこれが失敗。辛過ぎて、具は何とか食べたがスープは飲めなかった。

お腹も一杯になったし、脚の痛みがひどくなって来たのでホテルへ戻る、つもりだったが、通り過ぎて駅まで行ってみる。駅前では北京行きバスや旅館の呼び込みが激しい。これから北京行かんか、と言われても困る。隣のデパートでお土産を物色したあと戻る。

ホテルに帰って、そういえば、もうそろそろフィルムがなくなってもいいはずなのにおかしいなと思い、中を見るとフィルムが入ってない。カメラの中は空だった。さすがにこれから写真を取り直す元気はない。まあええか。

脚の痛みは残っているし天津駅のライトアップも消えている。夜食用に買っておいたケーキでも食べながら今日はもう、テレビを見て過ごす事にした。



22日(火)最終日
天津の街にもだんだん馴染んで、この街も結構奥が深くて面白そうだなと思ったころにはもう帰国の日である。残念だし、それにしてもそう感じるまで時間がかかり過ぎの様な、やっぱり昔に比べると感性が鈍くなって来たのかなとも思う。朝の散歩に出かけるが、まだ脚の痛みが引いていない。とりあえず新聞を買い、近くの快餐店で特価4元(普段は8元)になっている牛肉面の朝食をとる。スープは薄味で出汁もきいてるようでなかなかうまい。

10時過ぎホテルをチェックアウトし天津駅に向かう。天津と北京を結ぶ快速は去年の秋に高速化されて1時間15分程で両都市間を結んでいる。本数も増え、日帰りの利用が大分増えたそうだ。票価は日帰りに便利な朝晩の列車は高く、昼間の列車は安く設定されている。一番高いのが30元で25元、20元と言うのもあり、これから乗ろうとしている11時発の北京行き快速は日帰りには不便な時間帯ということか、一番安い15元となっている。改札の前に行くと直近の北京行きの切符を、移動售票という人たちが売っている。初めはダフ屋かと思ったが、そうではなく鉄路局の職員のだった。その内の一人の前に行き「一張」というと、簡単に切符は買えてしまった。

切符を確保した後売店へ行き、山積みされた麻花の中で小さそうなのを選んで買う。予備の鞄も使っている状態で、大きい箱だと持てなかった。バラ売りのにした方がよかったかもしれない。X線の荷物検査を受けてホームに向かう。直前まで切符を売ってるくらいだから空いてるのかなと思っていたが、待合室はいっぱい、ホームに下りると、ずらっと並んだ2階建ての車両に、空席はほとんど無いようだった。車内は2-3の横5列で、向かい合わせになった席の間にテーブルがある。切符に指定された席は一階、車両の真ん中当たり、3人掛けの進行方向窓側。まあまあの席である。となりのおっちゃんに「駅前で切符買うたんやろ」と聞かれそうだと答えると「一緒や」と言われる。このおっちゃんと向かいの席のおばちゃん二人組で、時間によって切符の値段が違うことで盛り上がる。そうかそうかと思いながら聴いていた。それにしても1時間ちょっとで着いてしまうのは、やっぱり速い。もう終わりか、と定刻の12時過ぎ北京駅に到着、隣に座っていたおっちゃんに会釈をし、人込みにもまれながら駅前にでる。残念ながら北京駅は工事中だったが、駅前に立つと、やっぱり首都と言う雰囲気は感じる。天津とはちょっと違うな^^

しばらく駅前で休憩した後、天安門へ向かう。荷物をどこかに預けようかとも思ったが、ここまで戻って来ないといけないし、荷物をぶら下げたまま行く事にした。駅前をとぼとぼ歩き、長安街へでて、東に向かう。意外に近かったような気もしたが、天安門前に到着したのは2時前だった。

天安門広場は工事中で入れないし、故宮を見て回る元気はないし、第一この長安街を渡る気力がない。前回、1987年に北京に来た時に天安門へは登れなかったので、今回は、と思って来たのだが、どうでも良くなって、しばらく道端に座ってボーとしていた。あんまりボーとしてばっかりもなあと思い直し、天安門広場の囲いをを横目に前門までとぼとぼ歩く。ここにはベンチがあったので、またしばらくボーとする。あした仕事がなければ、このまま北京で泊まりたい、と思ったが、出発前に会社で、「いついてまわんと、ちゃんと帰って来い」と言われたし、まあそうもいかんわな。

北京に来てからボーとしどうしだったが、3時もまわったので空港に向かう事にする。タクシーに乗る事にしたが。北京のタクシーは高い、空港まで100元以上する、と聞いたし、事前にもらった資料にも100-120元と書いてある。一応心構えはしてタクシーに乗り込む。この司機なんかちょっと愛想悪いかなと思い、ついつい警戒心を持ってしまったが、空港に着いてみると料金は70元、あれ安いやん。しかも100元札を出して細かいのがない事を告げると他の運転手に両替して貰うからと出て言った。なんかええ人やん。悪い先入観があったせいか、ついついチップを弾んでしまった。

空港でJ先生に電話してこれから飛行機に乗ることを告げるが、電話係のねーちゃんが愛想悪い、それも中国らしい気もするが。多少混雑するかなと思っていた狭っ苦しい北京首都空港の待合室だが、その待合室もがらがらの状態である。18:15発関西空港行き全日空の便には、多分50人も乗ってない様な気がする。大丈夫か全日空。

飛行機に乗り込むと週刊誌を何冊も抱え込んでみるおっさんが多い。新聞ならニュースを知りたいと言うことで分かる気もするが、そんなに週刊誌が読みたいか。で、僕はちょっと格好をつけて天津日報をひろげてました。

飛行機は、ほぼ定刻に無事離陸。この便の食事は、夕食と言うことか来る時の便より少し量が多かった。まず冷たいうどんを食べたのだがこのとき海苔と山葵を入れるのを忘れていた。なんかもったいなかったので、ホットミールのおこわ風のご飯に海苔をかけて、煮物に山葵を付けた。ご飯に海苔はともかく山葵は失敗だった。最後にバターが残ってしまったのに気づいて、これももったいないと思うが、バターだけなめるのはさすがにやめておいた。けど出されたものは全部食べないと、悪い様な気分になる。

途中少し揺れたが大した事もなく、21:25ころ予定より30分近く早く着陸。神戸三宮行き最終22:30発のバスに間に合うか心配してたのが22:00のバスに余裕で間に合う。国際線はこの北京からの便だけで空いとーやん、と思ってたら、国内線の旅客でバスは満席になった、荷物がある分ちょっと窮屈。

三宮からはJR新快速にのる、ほのかに麻花の匂いがするが、誰も天津帰りやとはおもわんやろな、気い付いたからどうと言うもんでも無いけど、とか思ってるうちに加古川着。ここで普通に乗り換えて一駅行った方が家には近いが、待ち時間があるし、まだ脚は痛いし、夜遅いので時間を節約する意味でも、ここからタクシーに乗るかと思い改札をでた。けどなあ、千数百円はいるし、やっぱり、なんかもったいない様な気がして来た。vcdが何枚買える?天津火考鴨が何回くえる? やめとこ。タクシー乗り場と反対に歩きだすが、ついついコンビニによって弁当を買ってしまう。これでタクシー代つこたんといっしょや、それに夜中に食べたらまたふとるなあ、いまさらやけど、30分歩いたくらいではちゃらにはならんわなあ、まあええか。両肩にひとつづつかばんを掛け、コンビニの袋を下げて、今度は何時行けるかなと考えながら、家路についた。

(おわり)
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