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南九州あついでだらけ旅 [旅行記 日本]

どこかに行こうと思っていたが。後少しで九州のJRかんじょうとなるので南九州に決めた。そうと決まればはやいめにと,3週間まえの7月8日に行きのなは姫路-八代と帰りのつばめ20号西鹿児島-博多のグリーン車。ひかり144号博多-姫路を買った。「なは」は禁煙車をたのむと上段しか残ってなかった。まあいままでB寝台の上段ゆうて乗ったことないしええか。つばめの席をみとこと思って駅で時刻表の席番表をみてみると手持ちの1Cはトップキャビンの4人掛けの通路側後ろ向きと一人で乗るには悲惨な席。そらないで,とよくみてみるとつばめ20号はハイパーサルーンだった。これなら車掌室の直前1人掛けの席である。つばめ型ののに乗りたい,と思っていたがまあハイパーも短区間を立っていただけだったし,まあええか。とその儘にすることにした。よーするになんでもええ訳だ。早くに指定券を買った時の一番のメリットという野はなんといっても時々取り出してにやにや眺められることだろう。そうして出発の日となった。

7月26日(水)晴
仕事を終えて一風呂浴びてから出かける。
姫路駅でなはの寝台に乗込んだ。

7月27日(木)晴
熊本到着のおはよう放送で目が覚めた。洗面所に行っているあいだに下段の寝具はかたずけられていた。結局下段は2つとも空いていたようだ。いままで寝台車に乗った時は寝台をかたずける前に下りている。7:人吉に着いた売店でパンでも買うかと見てみると駅弁が並んでいた丁度駅弁人気投票が行われていたこともありついつい奮発してしまいをくりめしを買った。湯前行きは2両編成後ろの車両に乗ったが前を覗いてみるとセミクロスのよう。移ろかなと思ったがもう空いたボックスはなかった。仕方無いので数人の高校生とおばちゃんに見られながらくりめしを食べた。
8時前なのにまだ明るいし暑いこれでサマータイムとか実施されると9時前でこんな状態名訳でこらたまらんでとおもう。

7月28日(金)晴
冷房いれりゃ寒いは,きりゃー暑いはデよくむられないまま8時ごろ起きる。西鹿児島駅まで約20分歩いたが結構汗がでてきた。やっぱり電車に乗ったらよかった,と思った。9時過ぎ駅についた。予定では指宿枕崎線の未乗区間指宿-枕崎間を乗る積もりだったが暑そうなんで,れーぼーの効いた定期観光バスでも乗って過ごそかなろかなと思い乗り場のほうに行ったが8:50にでたとこだった。やっぱり指宿枕崎線にしょ,と言うことで9:41発の喜入行きに乗る。途中五位野で親子連れのグループが下りていった。なんかあんのかな,とみると動物園まで徒歩20分とある。このくそ暑いのに20分も歩く鉄道に乗ってくれるとはあり難いなと思った。駅前商店街の端の方の食堂に行くここの会議室で新幹線の食堂車の海老フライの話題があったのを思い出し海老フライにした。

7月29日(土)晴
しばらくぶらぶらしたあとあまり人通りのない道端で自動販売機出買った飲物を飲んでいると突然「すいません」の声。本を片手に持った女の子がいた。一瞬お祈りでもされるのかと思ったが。「のうぎょうかいかんはどこですか」と聞かれた少しほっとしたがよく分からないと言いながら本を見てみるとハングルで書かれたガイドブックで韓国から来ているようだった。きれいな日本語で聞かれたので気付かなかった。彼女はすぐ「すみませんでした」と近くのガソリンスタンド辺行ってしまった。外国からの来てるのにと言うより可愛い女の子に愛想がなかったかなこと反省と言うかちょっと残念におもった。本はハングルで書かれたガイドブックのようだった。7月30日(日)晴
乗り過ごしていたらしいお婆さんが乗ってきた時,またグリーン車で1人分のグリーン原子か持っていない客が連れと座れる席は空いてるが聞いた時,ハイパー嬢はいちいち車掌に伺いを立てにいっていた。JR九州の方針がどうなっているかは知らないがこれぐらいのことはパイパー嬢が自分の判断で処理出来るようにしておいた方がいいのではないかとおもった。阿久根到着野放送が10分も前に流れてあれ,と思っていると後ろの方からハイパー嬢の「すいませんでした」の声が聞こえたあと。車内放送で車掌さんの訂正,その後 ハイパー嬢観の光案内が流れた。スイッチの操作を間違えたよう。テープならではの間違いで博多/19:33発のウエストひかり144号広島を過ぎたところでパブウエストから~とビュッフェへ行く。自由席には広島-福山あたりのりようしゃ七日大勢立っていた。ビュッフェでは少しあった空きテーブルもしばらくすると全部埋まったようだった。サンドイッチを温め過ぎたのか皿が熱くて持てなかったり,会計の時よろけて客に掴まったのはまあ愛嬌という事で。
姫路22:19着 3番ホームに行くと18分に出たはずの電車が停まっているてぎりぎり間に合ったあれっと思ったがはくと86号運転による時刻変更があったようでらっきー。

1998/01広島、出雲、松江 [旅行記 日本]


青春18切符を手にして、九州で豚骨ラーメンを、いやいや名古屋で味噌煮込みうどんでも。旅行の予定を決める作業は楽しいもので、あれこれ浮かんで来たものを全部やっていると、一年中旅行に出かけていることになってしまう。時間もお金も、そういうわけにもいかないので、今回は2泊3日の旅となる。もっとも、制限が加わるからの面白さが有るわけだが。

1998年1月9日(金)休みを取って、朝5時過ぎに家を出る。昨晩は早く寝るつもりだったが、2時間程うとうとしただけで、後は時刻表をめくったり、4時には朝御飯を食べはじめたりと、遠足前の小学生のような気分になってしまった。そういえば、暫く旅行はしていなかった。始発電車に乗るため駅に向かう途中、冬のまだ夜の明けない道を歩いていると、自分一人が早起きしているような気分になるが、あちこちの家でもう明かりがついている。新聞屋さんや、牛乳屋さんも走り回っている。自分の気づかない所で、さまざまな一日がもう始まっているんだなと思う。

本日の予定だが、やっぱり、冬といえば日本海、久しぶりに日御碕の灯台でも行ってみるか、と言うことになれば、出雲そばか。出雲と言えば、広島駅新幹線口からのバスが出ていくのを、「のりたいな、けどかえらんなんしなあ」と、見送ったことが何度かある。広島といえば冬の味覚牡蠣。よし、広島経由で山陰に入ろう。と決めた。

多くの人にとっては、正月休みが終わった平日。姫路から神戸、大阪方面に向かう電車にはそこそこ乗っているが、赤穂に向かう列車はがらがら。数少ない他の乗客は殆ど眠そうに目を閉じている。僕一人だけ、浮かれているようで、なんか気持ちがいい。播州赤穂で今乗って来た電車は折り返し、大阪方面への通勤電車となる。冬の朝6時半はまだ真っ暗だが、発車していった電車の座席は結構埋まっていた。 通勤客が多かった大阪方面に比べ、僕がこれから乗る、岡山方面三原行きの電車の乗客は殆ど学生のようである。岡山7:55着と言う時間帯の為か、6輌もつないでいるが、まだ車内はまばらなまま、播州赤穂を発車。空が明るくなってくるとともに、乗客も増えて来て、学生だけでなく、通勤客も目立つようになり、車内も少しほかほかして来た。

岡山では、下車客も多かったが、乗り込んでくる方も、ホームに列を作っていた。東福山、土日ならここで快速スーパーラビットに乗り換えることで、広島にはおよそ20分早く着く。赤穂線を回る計画を立てたのも、この乗り継ぎが可能だったからで、これが成立すると10:45広島駅新幹線口発の高速バスに乗る、と言う選択肢が出来た。但し、今日は金曜日でスーパーラビットは走っていない。次に乗るのは三原駅でこれだと広島到着は、40分ほど遅く出る山陽本線経由の電車と変わらない。それでも今回早く出たのは、計画を立てて、始発に乗るぞという気分になってしまっていたためか。

広島着10:45。ちょうど新幹線口から出雲市行きのバスが出た時間である。スーパーラビット運転日ならこれに間に合っていたのだが。53分の大田市行きに乗ってしまう手もあるが、やっぱり折角広島まで来て急ぐことも無い。ここは牡蠣かお好み焼きをとる。次に出る出雲市行きのバスは12:30発、12:48発江津行きもありどちらかに使用と思う。もう11:00、12:30のバスだと、後1時間半程なので、駅近辺で食べる事にする。まずは、新幹線口をうろうろ、手近なところで、駅ショッピングセンターでカキフライを食べる事にする。牡蠣の料理は、生牡蠣、酢牡蠣、土手鍋等色々あるがやっぱりカキフライ。パリパリッとした衣にジューシーな牡蠣が何とも言えない。多少寝不足による倦怠感はあるものの朝御飯を食べたのは4時。もう7時間も前なのでまだまだ行ける。今度は、在来線がわの駅ビル4階の食堂街に有るお好み焼きコーナーに行ってみた。ここには数件のお好み焼き屋が入っているが、僕が入ったのは、階段をあがって一番近くにあった「麗ちゃん」。なんでか広島のお好み焼き屋には**ちゃんと言うのが多い。旅行中で贅沢したれ、という気分で1100円也のスペシャルそば入りを頼む。そばの質感と甘いソースがマッチしてうまい。広島のお好み焼きは何処がうまいか、niftyの会議室でもよく見る質問だし、ガイドブックにも色々書いてある、ただ小さいころから、広島でお好みをを食べて、それなりのこだわりを持っている、と言うこともない僕のような旅行者にとっては、どこで食べてもそれなりに美味しい気はする。今回はもう腹一杯だが、今度は、同時に何軒かはしごして比べてみるのもいいかなと思う。

さすがにおなかも膨らんだので、少しぶらぶらした後新幹線口に戻る。ここで、バス車内用のおにぎりとサンドイッチを手に入れる。昼御飯は済ませた床だし3時間程の車中だが、何がある革から無いので非常用である。食べなければ夜食や晩御飯の足しにしてもいい。まあ2つも買うことないやろという気もするが。切符売場で12:30発スーパーみこと号の乗車券を買う。指定席だった。発車直前に買って窓際の5A席ということで、この便はそんなに混んでないようだったが、夕方以降の便の空席は僅かのようだった。広島駅新幹線口を発車したバスは、紙屋町のバスセンターによる。ここでも数人乗ってくるが、がらがらの状態。やのに、わざわざ人が座っている前や後ろに座らんでも。ノンストップなのでもう誰かが乗ってくることも無いのに、もっと散らばってすわれ、とおもったが自分も移動がめんどくさく指定された席に居すわる。まあ、うっとうしくなれば反対の座席も空いているし。バスセンター発車後のアナウンスによると、本来はトイレ付きのところ代車でトイレ無になったとのこと。トイレの用が有れば早めにどうぞということだが、言うのは結構恥ずかしい気がする。「運転手さーん、おしっこ」とか手を挙げて言ってみるのも、まあ旅のアクセントかもしれん。(うそ) 赤名でトイレ休憩、小さな売店がある。別に欲しいものも無いのだが、こういう所ではついつい何か買いたくなる。チョコレート購入。松江方面への道と分かれほぼ定刻の出雲市駅前到着。

さてこれからどうするか、松江に行くか出雲大社まで行くか、考えてみるものの、やっパめんどくさいから、ここの駅前に泊まることにした。少し駅前を歩いてみると、幾つかのホテルや旅館では、玄関に**高校様とかある。数年前松江に来た時、なにかの大会が有ってホテルが全部満室。やっと米子でツインのシングルユースがとれたことが有り、やばいかなと少し思う。ベンチに腰掛け、出雲でもPHSが使えるんやと感激しつつ駅前にあるホテルへ電話を書けるが、何度かけても話し中、なんでやと思いつつ直接フロントに行ったが、空いている様子。よく考えると市外局番を押していなかった。

出雲市は初めて一人で泊まり掛けの旅行をした時に泊まったことのある街だ。まだ学生で、予算もそんなになかったころ。一日の食費も切り詰めていたが、一週間程の旅行も終わりの頃、いっぺん思い切り贅沢してみようと、出雲市で酢豚定食を食べた記憶がある。今日、そこに行ってみるんもええかなかと思ったが、その店はなくなっていた。しょうがないので、たぶんこの辺かなと言う場所の近所でトンカツ定食を食べて、スーパーで寿司とおかずを数品を買ってホテルに戻った。

1月10日(土)8時過ぎチェックアウトし、駅前のバス乗り場へ。丁度出雲大社行きのバスが入って来た所に乗り込む。通学の時間帯だが第二土曜日でも有るし、数人の学生がいるだけで車内は空いていた。出雲大社から日御碕へのバスは9:05発。後40分程有るので食事をしたいが、8時半だと何処もやってないかなと思っていたら、多くの食堂が営業を開始していた。

天気は曇り、すっきりしないが、それもいい。久しぶりに日御碕に向かうがなんかバスがスムーズに走っている。よく見ると所々道が付け替えられていて、バスが通るとすれ違いも困難だった場所は大幅に減っていた。狭いトンネルが幾つも閉じられていた。その代わり、というか、道路が崩れて片側通行になっている箇所が数カ所有った。バスが通る時いつも青になっていたがそういう仕組みなのか、偶然か。

日御碕のバス停前には今降りた数人の乗客だけだった。それでも売店のおばちゃんは、熱心に商売をやっている。ウミネコの鳴き声を聞きながら、坂をしばらく登って、灯台にたどり着く。日御碕に来るのは三回目だが灯台まで来るのは二回目。前回はバスの時間の都合で途中で引き返した。10時前という時間のせいか、季節のせいか灯台は閑散としている。おばちゃんが掃除中で、入口はこっちですよと誘ってくれる。ここは、前に登ったことが有るし、第一、僕は高所恐怖症で、二度とこういう所には登らんと決めていた。が、にこっとして「どうぞ」と言われたので、ついつい入っていってしまった。階段下で荷物を預けて、靴を脱いで、狭くて急な螺旋階段をあがる。2階3階4階5階まだかい。誰にも会わずに、一番上まで、たどり着く。ここでは外に出られるようになっている。折角だから、出てみるかと、一歩踏み出した瞬間、腰が抜けて、座り込みそうになった。他に人がいれば、前回と同じく、泣きそうになりながら、格好をつけて周りを一周するところだが、一人きりなのを幸い、とっとと降りる事にする。海沿いの遊歩道を通り、またウミネコを眺めながらバス停に戻る。バス停そばの日御碕神社には観光バスからの団体さんで賑わっていた。しばらくガヤガヤした後、小さな港では親子が凧上げをしていた。なんか正月らしいなと思う。まだバスの時間には間が有ったので、松江のホテルでも予約しとこと思い、一応PHSをみるとアンテナ3本。予約完了後、電話を切って見上げると、すぐそばの電柱にアンテナが着いていた。うーんこんな所でも使えるとは、意外に便利。解約は暫くせんとこかと思う。

11:00ごろ、出雲大社に戻ると、駐車場はいっぱいで入口にちょっとした列が出来ていた。3が日は過ぎたとはいえ、初詣に来る人も多いのだろう、さすがに人気がある。ここで、出雲そばでもと思うが、出雲大社周辺の食堂も混んでそうだったので、旧国鉄大社駅まで歩く。駐車場と大社の間は賑わっていたのに、道を歩く人は少なく寂しい。15分ほどで到着した大社駅は、綺麗に保存されていて、このまま列車が来てもええのになと思えるようだった。けど、人気は無い。ちょうど駅前にそば屋が有ったので、入る。美味しかった。出雲大社前から一畑電車で出雲市へ。JRで松江まで行くつもりだったが、電車が出たところ。次の普通の発車の13:29分まで約一時間有る。バス便でも無いかなと駅前のバス停に行ってみると、13:00発の宍道行きがある。宍道駅前には印象に残るカレーの食堂があったはず。行ってみよう。小型のバスは、初めこそ座席が埋まっていたもののどんどん減っていく。道路沿いには大型の店が並び、賑わっているがバスはすいたまま。時々国道から外れて、集落に入っていくという努力も虚しく、終点宍道連絡所で降りたのは二人だけだった。宍道連絡所から駅まで少し歩く。残念ながらあの時の、駅前の食堂は、もうやっていないようだった。別の食堂でかつめしを食べる。似たような味かなという気がした。

玉造温泉駅で下車。温泉でも入ってみるかと考えてみるが、まだ明るいし、気分が出ないのでそれは後にして、松江のホテルにチェックインする事にする。松江でおりて、駅前に観光用循環バスのレイクラインが停まっていたので、ふとみると、運転手さんは若い女性だった。路線バスの運転手さんにも女性がいた。西安でイヤリングを振り回しながら大型のバスを操っていた女の子を思い出した。かっこよく、おしゃれに。 4時過ぎにチェックインした今日のホテルはちょっといい部屋。角部屋で宍道湖が見える。雲がかかって夕焼けは見えないが。前のマンションちょっと邪魔やど。暫く松江の街を歩く。雲がかかって来て、宍道湖に沈む夕日は見えなかったが、やっぱり落ちついたいい町だなと思う。玉造へは、やっぱり、めんどさくなって行かなかった。

翌11日9時にチェックアウトし、松江駅に行く。時間を勘違いしていて鳥取行きの快速まで暫く時間がある。以前安いカレーを探して入った店で、モーニングセットを頼む。一番高いCセットにした。たった2両編成ではあるが、かつては急行として走っていた車両で、かつての急行のようなダイヤで山陰線を走る。鳥取に近づいて、学生で混雑するまでは、仮想急行を楽しめた。駅の食堂でイカ丼を食べ、バスターミナルへ。ここから姫路行きのバスに乗る。智頭急行の「スーパーはくと」登場以来、時間では1時間程差を付けられた、姫路行き特急バスだが、特に急がないのなら、バスも便利である。運賃は安いし、終点が姫路だと安心感がある。空いてるし。
山陽道全通の影響か、もともとか、中国道、播但道ともに渋滞無く5分ほど早く(あんだけ飛ばして5分だけと言う気もするが)姫路駅前到着。以前姫路から引っ越していった時、姫路に行くことが旅行のように思えて、なんか、もう姫路に住んでないんやな、と思って少し寂しくなったことがある。けど、あれから、10年以上立っているのに、国道2号線から、大手前通りに曲がった時、バスの両側に姫路城と、姫路駅が見えると、帰った来たな、という気持ちになった。このまま姫路の街をうろつくことも無いか、そう思って、そのまま帰途についた。

1997神戸ルミナリエ [旅行記 日本]

「ひえー、むっちゃよーさん人おる。」1997年クリスマス前の週末、元町駅前は、ルミナリエ会場へ向かう人で埋まっていた。3回目になり、すっかり神戸の冬の名物になったルミナリエ。今年も、光のゲートやウォールが年末の街を彩っている。

1995年12月。いつもならクリスマスの飾りつけが鮮やかな神戸の街は、まだ暗闇にに支配された夜が続いていた。あちらこちらで工事の音が繰り返され。去年まで街を照らしていた明かりが今は、夜に沈んでいた。

そんな神戸観光復活への希望を込めたルミナリエの光が灯されることになった。ついでに見てみるか。土曜日、元町で用事を済ませた僕は、会場となる旧居留地に向かっていた。幾つもの建物が消えていた。元町のシンボル的存在だった大丸百貨店もひとつの影にすぎなかった。何となく人の流れに沿って歩く。奇妙に静かな通りから、会場の通りへ曲がったその時、目の前に光のゲートが続いていた。復興への希望の光。観光客を呼ぶためのイベントにすぎないと思っていた光に、感動していた。僕は少しの間その角に立っていた。人々の顔を照らす光。多くのひとがそうだった。一瞬立ち止まり、笑顔が、嬉しそうな声が聞こえた。たいした被害を受けていない僕よりもっと強い気持ちで光を見ていた人が多かったに違いない。その角を曲がった時、その瞬間、ルミナリエの光は希望の光として輝いていた。ゲートをくぐった時、不思議な安らぎがあった。この街を照らす光は犠牲者への鎮魂の光でもあった。そっと目を閉じ手を合わせる人がいる。そんな中を、僕はゆっくりと歩いていった。

あれから2年。ルミナリエはさらに多くの人を魅了していた。僕は結局、あまりの人込みにその日は会場に行くのを止めた。人の流れと反対に歩き、元町駅のホームに出た。次の電車が来るまでの少しの静寂にあったホームで、「ルミナリエは震災にあったこの街だからこそ価値がある。」と聞いた言葉を思い出した。一見光を取り戻したかのように見えるこの街で、ルミナリエの光はまだ希望の光として輝き続けている。当たり前のように到着した電車から降りていく大勢の人と入れ違いになり、流れていくホームを見ながら、この街が本当に復興したと言える時、ルミナリエは終わっていいのかも知れない、そう思った。

青春18切符でキャナルシティ博多見物 [旅行記 日本]

1997年7月
台湾にいくつもりで準備していたのが潰れてしまい、別の予定も無くなってしまった7月の20-22日。さて何をしょうか。やっぱりどっか行こう。青春18切符を使って博多へでも行ってみよう。予定は、20日からの一泊二日。
さて、青春18切符を使うとなると移動に10時間程かかるため、現地でそんなに時間はとれない、なんかポイントを絞ってみよう、と言うことで、一日目は去年博多に行った時少ししか見れなかったキャナルシティをゆっくり見ることに,二日目は在来線はすっかり御無沙汰の山陽線西部でどこか気が向けば降りてみることにした。

7月20日(日)朝6時半過ぎの電車で姫路に向かい、新幹線ひかりに乗る。青春18切符で九州まで行くのも疲れそうだし博多での時間を少し多めに取りたかったので途中までは新幹線に乗ることにしていた。ひかりを広島で降りる、本来ならここで普通列車に乗り換えるつもりだったのだが、実はついつい買ってしまったのぞみの指定券を持っている。300km/h新幹線500系のぞみに乗るつもりでわくわくして待っていると、やって来たのは何か違う。ぬっとホームにはいってきたのは、普通の300系のぞみだった。「げっ、しもた時刻表見間違えた。」500系はこの次ののぞみだった。まあ前に一回乗ったからええか、と思うものの情けない。車内でトイレに行った時、デッキの自動販売機で500系テレホンカードを売っていた。なんか買いたくなって、1000円を使ってしまった。

一度500系に乗ってしまうと、速さも負けるし、100系のように二階建ての車両があるわけでもない300系は中途半端な気がする。まだ9時前なのにもう小倉着。早く着いたもののあまり意味の無い速さのような気もする。ここからは、また青春18切符を利用する。夕方頃までに博多に着けばいい。門司港へでも行ってみるかと思ったが、在来線ホームをうろうろしていると、直方行きの列車が停まっていたので乗る。真っ赤な車体の新しいディーゼルカーで、冷房も効いて気持ちがいい。ただJR九州のコーポレートカラーになっている赤は暑苦しい感じもして、青とかにしたほうが涼しそうでよかったのにと思う。

新しいディーゼルカーはエンジンも強力で鹿児島本線を快調に飛ばす。朝少し早かったせいかウトウトしてしまい気がつくとまもなく直方に着くところだった。車内放送では「博多方面は普通列車に乗換」といっている。「あれ、これが快速なって、博多まで行くんちゃうかな。」と思ったがそのことは何も言わなかった。直方で降りてかしわの入ったうどんに、いなりか、かしわめしおにぎりでも食べるつもりだったが、のぞみで弁当を食べてしまってたし、何か暑いし、途中下車せずに博多まで行ってまおか、とホームの向かい側に停まっていた博多行き普通に乗り換える。何人かが同じように普通に乗り換えたと思ったらJRの人になにか言われ元の列車に戻っている。やっぱり快速で博多まで行くらしい。僕は別に急ぐ訳でもないし、普通列車もずいぶん古いが転換クロスシートのキハ66系(かな?)だったのでこのまま普通列車に乗って行く事にした。連休で博多方面に行く人が多いのか快速の方の座席はあっと言う間に埋まっていた。新飯塚でおりるかなとも思ったがめんどくさくなりそのまま。飯塚で快速に抜かれる。桂川から篠栗線に入り博多に近づくと普通列車も混んできた。複線だった線路も単線になり行き違いの為の停車も増える。石炭を港に運ぶのが主力の時代の名残とはいえ、博多指向の現状からすると、博多に近くなると線路が減るのは奇妙な気がする。

もうまもなく正午と言うころ、鹿児島本線に入り博多のひとつ手前の駅、吉塚に着く。普通に乗りつづけていたためえらい時間がかかってしまったが、博多に到着してしまうのも早すぎる気がした。もう昼だし腹も減ってきてラーメンが食べたくなった。そういえば香椎のホームにラーメン屋があったから行ってみよ、と言うことで博多と逆方向の快速に乗る。香椎のラーメン屋は駅ビルの食堂コーナーにあるがホームからも食べられるようになっている。駅ビル側は丁度昼というのもあって、テーブル、カウンターともにいっぱいだったが、椅子が4つあるホーム側のコーナーはだれもいなかった。博多のラーメンは意外とあっさりしている。ちょっとボリューム感もほしかったので、焼き豚ラーメンを注文。ホーム側は前払いでお金を取られる。カウンターに入れ放題の辛子高菜が置いてあったので入れてみる。辛さが何とも気持ち良くなってきてどんどん入れる。スープが真っ赤になってきた。結局麺より高菜の方をたくさん食べたような気がする。

さてこれからどうするか、西鉄の福岡駅が新しくなっていると聞いていたので、行ってみることにした。どうせなら西鉄電車に乗って行こうと思い、JR南福岡なら雑餉隈まで徒歩連絡が出来るのでそこまで行く。通路の向かいの席の女の子がちょっと可愛かった。雑餉隈から乗り込んだ普通列車で到着した新しい福岡駅ターミナルは、まだ工事中で、百貨店の三越もまだ開業していない。バスターミナルはもうビルの上の方の階に移って、新しくなっているようなので覗いてみようと、案内にしたがって行くが、エレベータしかない。エレベータに乗るのは嫌いと言うか少し怖いので、エスカレータか階段かを探す。ぐりっと回ってみると、上りのエスカレーターが見つかり「よしよしエレベータだけゆうことないわな。」とバスターミナルへ上がっていく。以前に比べるとなかなか綺麗になったバスターミナルで、姫路行きのバスもちゃんとあることを確認、、さあ降りよ、と思って下りのエスカレータを探すがない。エレベータしかない。閉じ込められたような気分で少し焦る。気を落ちつかせようというのとさっき食べたのがラーメンだけでおなかも減っていることだし、おにぎりとコーヒーを買いベンチに座って食べる。どう見てもエレベータに乗る必要が有るようなので覚悟して乗り込む。エレベータガールでも乗っていればもう少し気は楽に乗れるのだが。

天神の百貨店岩田屋の地下をうろうろする。ここの回転焼きは御座候ではなかった。九州では小倉のそごうで御座候を確認している。かしわ飯のおにぎりが美味しそうだったので買う。暑くて地上に出る気がしなかったので、地下街から地下鉄で博多駅に向かう。博多駅に着いた時は3時半をまわっていた。いったんホテルへチェックインする事にし、バスに乗るため博多駅交通センターへ向かう。ホテルのある柳橋、渡辺通り一丁目方面のバス乗り場を探すが無い。しばらくして、この方面へは駅前の道路にバス停があることが分かってそちらへ。去年買い、まだ残額のあるバスカードを使う。小銭が要らないしおまけもあるので便利だ。ホテルへは柳橋バス停の目の前だったが気づかずに次の渡辺通り一丁目まで行ってしまう。チェックイン後、シャワーを浴びてしばし休憩。5時頃に今回の主目的キャナルシティに向かう。日曜日のせいか人けの無い柳橋連合市場を抜け、那珂川に沿って行くと対岸にキャナルシティが見えてくる。10分ほど歩き、人専用のような細い橋を渡るとダイエー側の入り口に着いた。

前回は時間の都合でダイエーしか見なかったキャナルシティを回ってみる。それなりに面白いものもありそうだが、キャナルシティがどんな所か見たかっただけで、特に欲しいものも無いので、取り敢えず晩御飯でも、と食堂コーナーに行く。一蘭という前来た時おいしいから行ってみたらと教えてもらった店があった。行列用のロープが備えてあったがこの時間はそれほど混んでいないようで、入ってみるかとも思った。けど、さっきホテルで博多駅で買ったパンを食べているし、昼、ラーメン食べたし、ちょっとラーメンは受け付ける気がしないと思い、向かいの店で、海鮮大漁丼をたべた。キャナルシティはいろいろな施設もあり、広場ではイベントなども行われていてそれなりに楽しめた。ホテルも二つありひとつの街の様だとも言われる。ただ僕は基本的にはショッピングセンターというはそれ単独で建っていてもあまりおもしろいとは思えない。どんなにバラエティに富んだ店や施設が入っていても結局はキャナルシティというひとつの色でしかないように思え、何が有るか分からない都市の多様性、猥雑さと言う魅力は持てないから。姫路の郊外に有るリバータウンというショッピングセンターに行ってみた時、センター内は確かに綺麗だったが、駅から歩いた途中の商店街に活気がなく、つまらなかった。ひとつのコンセプトに縛られた様な者だけが存在するこのショッピングセンターにわざわざもう一度行こうという気はしなかった。キャナルシティはそういう意味では立地に恵まれているように思う。博多、天神と言う大繁華街に挟まれすぐそばには、歓楽街中洲、古くからの商店街が広がる川端に接している。キャナルシティーに飽きても行く場所があるのだから。というわけで少し外に出てみる。

那珂川の方へ道路ひとつ渡るとそこは中洲のソープ街が広がっている。その先那珂川沿いの道には名物の屋台が連なっており賑わっており、キャナルシティからそこまでは行くには何軒かのソープランドの前を通ることになる。キャナルシティが出来る前はおそらく、目的を持ってるものしか通らなかったような場所を家族連れやカップルが行き交っている。店の前で「おにいさんどう」とかいう人もなにか遠慮がちな気がする。入る方もなかなか入りにくそうに思えた。那珂川の端の屋台から少し離れたベンチに座る。対岸を見てみるとえっち系のホテルが連なっている。窓に人が動いているのが見えた、ていっと思いながらついつい見ていたがすぐにカーテンがしまってしまった。時間はもう8時になるがまだ空が真っ暗という訳ではない。もしサマータイムなんかなったら9時まで明かるいんか、かなんな、と思った。暫く付近をうろつく。キャナルシティの外にそれより面白いものを見つけられたわけではないけど、それがなければまた来てみたいとは思わなかった気がする。いい加減疲れたしホテルへ戻る。帰りには来た時と別の道を通ろうと思い国体道路で那珂川を渡りキャナルシティとは那珂川を挟んだ反対側道を通る。さっき見ていたホテル街の中と言うことになる。ひとりで寂しいのーとおもいつつ歩いていると、「かわいいこおるよ」と声をかけられる。無視していると。「話くらいきかんね」と言われるが話だけ聞いてもしょうがない。コンビニでお茶をかって、とっとと部屋に戻って寝る。

翌日8時過ぎ目が覚めチェックアウト。道路を横断し渡辺通り一丁目のバス停から博多駅へ向かう。博多駅からホテルに来る時と最寄りのバス停の名前が違った。今日は山陽路のどこかへ行くつもりなので、ホームに停まっていた門司港行き快速にさっさと乗りこんだ。それほど混んではいなかったが、スペースワールドへ行くらしい子が結構乗っていてにぎやかだ。最寄り駅枝光につくと元気に降りていった。小倉で途中下車し朝御飯。新幹線高架下のラーメン屋に入る。ここのは辛子高菜が入れ放題でなかったのでちょっと物足りない。食べおわるとすぐホームに戻り、九州を後にする。下関、小郡で乗換。小郡から岩国までの在来線区間がずいぶんと長い間通っていない区間なので、この辺のどこかに降りて、ご飯を食べるつもりだった。が、寝てしまった。目が覚めたのが岩国の手前。しょうがないので岩国駅のうどん屋でお昼ご飯。食べおわるとすぐ電車に乗り込む。このあと、どうしようか考えるものの、めんどくさくなってしまい、このまま一気に東へ向かう事にした。西広島でいったん降りる。この後に来る岡山行き快速に広島で確実に席を取るため、手前の駅から乗るというせこい手段をとった。案の定、西広島では少し混雑していた車内も広島で大きく入れ代わった。ただ大きな鞄を持って車内に残っていた人が意外に多かったのも青春18切符の威力か。115系の電車に、117系シティライナー風の片側2扉、転換クロスシートのついたこの電車で、僕が狙っていた席は、ドアのそばの、転換しない固定された席で、進行方向を向いている席。ここは電車が往復すると、どちらかの方向で進行方向と逆向きになり、かつ向かい合わせになることが前提になっているので、他の座席より少し前後の間隔が広くなっているためだ。このタイプの座席の下は暖房機器で塞がっているタイプなので、この間隔の差は意外にある。広島から岡山まで時々少し立つ人が出るくらいで其れ程込まなかったが、三原、福山と言った主要都市で思ったほど乗客が入れ代わらず、岡山まで乗りとおす人が多いのも18切符のせいだろう。さて岡山までたどり着き、ここで姫路行きに乗り換えればもうすぐ家に帰り着けるのだが、くじける。家のクーラーが故障中やし、明日も休みやし。駅前のホテルにチェックインした。

急行但馬ぐるっと二周 [旅行記 日本]

 94年3月に姫路駅の高架工事関連で気動車区等の施設が移転するという記事が新聞に載っていた。また冬には智頭鉄道の開業も予定されているという。

 僕の生まれたのは姫路市,両親は兵庫県美方郡温泉町の出身。温泉町は夢千代日記で有名になった湯村温泉のある所で,最寄り駅は山陰線浜坂駅である。小さい頃親の故郷に帰省する時にはいつも播但連絡急行「但馬」だった。特に,朝の姫路発浜坂行,夕方の浜坂発姫路行(浜坂-豊岡普通)はよく利用していた。まるで自分たちのためにあるような列車だと思っていた。その後時がたち僕も就職をし,やがて不便な所に転勤になって通勤のため車を持たなければしょうがないことになると。帰省も車を利用するようになってしまった。車で行くのは好きではない,それに今はもういない母方祖母の言葉「あんたは汽車がすきやから」と言う言葉を思い出すと列車で行かなければいけないようにも思う。勿論母方の祖母が汽車好きだった訳ではなく,子供が皆都会へ行った中,孫の僕が列車で帰ってくるのが嬉しかったんだと思う。僕がどちらかといえば列車に乗るのを楽しみにしていたとしても。そして今年智頭鉄道が開通するとこの区間も大きく変わることになりそうだし,高架工事での関連で,姫路駅も大きく姿を変えようとしている。今のうちにもう一度乗っておこうと重い腰を上げた。都合で一泊する余裕はなかったが1日で済ますのも呆気ないと思ったので日帰り2回に分け,最初の日に朝の但馬号,2回目の日に夕方の但馬号に乗ることにした。

1993年12月25日
 宝殿駅7:15発の普通電車で姫路に向かう。曽根-御着間で貨物駅の建設が進んでいる。姫路の貨物ヤードで貨車の入替えを飽きもせず見ていたのも随分前のこと,構内に広がっていた線路も近いうちに取り外され再開発が進められることになる。ホームに入る少し前,右手に播但線用の東1~3番ホームが見えてくる。姫路始発浜坂行の急行但馬1号(浜坂-鳥取普通として直通)はまだ入線していない。 姫路到着,跨線橋を渡って播但線ホームヘ向かう,朝食は食べてきたが売店でおかめ弁当を買う。以前はふたの部分がおかめのお面になっていたのが今は普通である。これに僕の駅弁のお供,UCC缶コーヒーを買い東1番ホームで列車を待つ。程なく気動車がやって来たがちょっと変。7:40発の普通福崎行きだった。今までこの時間の東1番線から普通が出ていった記憶がなかったので少し戸惑う。普通列車が出ていったあとすぐに但馬1号が3輌編成で入ってくる。昔はここのホームの端っこのほうで随分前から並んでいたように思うが,もう端の方には列車はなく先頭の禁煙車に乗り込んだのも数人であった。それでも発車時間が近づき7:51着の山陽線下りからの乗継ぎも含めて何とか空のボックス席はなくなった。

 
 8:00発車さっそくおかめ弁当を食べおえてしまう。寺前の当たりから雪が残っているようになり,生野ではうっすらではあるが雪景色になった。子供が雪を見てはしゃいでいる。僕も子供の頃冬の但馬では雪が有るもの思っていたし,全然積もってないとがっかりしたもんである。その後祖母が雪のない冬を嬉しそうに話すのを何度か耳にして少し考えは変わっているが,雪の中を行く列車は捨てがたい。生野の峠を過ぎ,播但線の終点和田山に着くと雪も少なくなってきた。雪はその後盆地の豊岡で少し積もっていたが海岸部では所々残っているだけだった。

 昔から播但線内の乗降は少なく八鹿に着いた頃からぼちぼち人の動きが目立ち始める。八鹿,江原と関西有数のスキー場への連絡駅だが今は列車で来る人はほとんどいないようである。但馬の中心都市豊岡,温泉地城崎と停車し降車が目立つが元の人数が少ないのでそう大量にはならない。城崎から先は以前でも空いていた。今回もそうだった。夏なら海水浴もあるのだが,冬ではそうもいかず温泉に入って松葉がにでもというには早すぎる時間である。折角景色のいい海岸線を行くのに,もったいないことだと思う。トンネルの合間に日本海が見える。この区間と豊岡付近の円山川の車窓風景は大好きである。

 10:23発の香住から予想外の乗車がある。去年の3月改正迄はこの但馬1号が浜坂で長時間停車して後続の普通列車を待って鳥取へ向かっていたのだが今はすぐ発車してしまう,そのため香住で一泊して鳥取方面へ向かう人が乗ってきた様だみんなかにのお土産を吊り下げている。鎧を過ぎいくつかトンネルを抜けると余部鉄橋を渡る。何となく下り列車で渡る方が好きだ。1986年暮れの事故以来単純に喜んでもいられない気持ちになるが,やっぱりいい鉄橋である。大好きな。 10:40浜坂着。いつの頃からか但馬1号はここから普通列車として鳥取へ向かう。個人的にはこの区間は何が余計な気がする。以前は折り返し大阪行急行但馬として発車していたのだが。

 浜坂下車。父方の祖母の所へは駅前から全但バスで湯村温泉まで約20分,そこからさらにバスで15分かかる。バスの時刻の関係もあり今日は寄らない。ごめんなさい。

 浜坂11:42発の快速で鳥取に向かう。181系3輌で弁当の車内販売もあった。浜坂-鳥取間というと乗客はそんなに多くないイメージが有ったが今日は浜坂でほぼ満席,諸寄,居組と浜坂からの買物帰りらしい人が下りていったが,岩美で高校生が乗ってきて立ち客も出たのは意外だった。

 鳥取12:20着。駅前で焼きそばの昼食の後鳥取砂丘へ,隅の方にほんの少し雪が残っている。砂山を越えて浜辺まで下りていくのはしんどいので,少し行ったとこで海を眺めて引き返す。小学生の頃バス旅行で来て,何人かの友達と浜辺に下りて行ったあと後ろに聳える砂山を見て,このまま帰れへんのちゃうか、と不安になったことを思い出した。

 鳥取駅前に戻りバスターミナルへ,日交と日の丸バスが同居しているのは,昔鳥取の駅前で二つのバス会社がガンガンスピーカーを鳴らしながらそれぞれのターミナルへの誘致合戦をやっていたのを思うと時代の流れを感じる。お互いに反発しあってばかりいられるような状況で無くなったのかもしれない。姫路行きの特急バスに乗る前にバスターミナル2階の食堂で腹ごしらえをしておく。途中雪の多い峠をとおるし,渋滞でもあれば悲惨である。

 16:00鳥取発姫路行のバスは国道29号戸倉経由便である。他に岡山県の大原経由便が一般道,又は中国自動車道経由であり,計8往復が運転されている。鳥取発車時の乗客は5人。スキー場のある戸倉,山崎等で数人の乗客が有ったがそれでも10人ほどの寂しい車内のまま,心配した渋滞もなく姫路市内へ。駅前の大手前通りに入り,姫路城が見えると姫路に帰ってきた実感が湧く。ほぼ定刻の19:05姫路駅前にバスは到着した。

1994年1月15日(土)
 宝殿8:36発の普通で姫路へ。駅前の神姫バス乗り場へ行くと,大学センター試験会場行きの最終バスが出るところだった。そういえば今日は成人式でもあって晴れ着の女性も数人いる。テレビ等で観てはいるのだが,どうも最近季節を実感することが少ないように思う。

 姫路9:10発鳥取行き高速バスに乗る。姫路-鳥取間のバスは姫路の神姫バス鳥取の日の丸バスの共同運行で8往復あり,その内4往復は高速便として,播但連絡道,中国自動車道を経由し2時間30分で走っている。この高速と一般道経由の2往復,計6往復が岡山県の大原町を経由しており,智頭鉄道とほぼ同じ経路になる。2時間50分~3時間かかっている一般道経由便に対し高速便を設けたのも智頭鉄道開業を意識したものと思われ(たぶん),神姫バス便は夜行高速バスで使っていたと思われる3列独立シートの車両を使っている。 バスは暫く姫路の市街地を走った後播但連絡道へ,福崎インターから中国自動車道に入り佐用インターまで高速道路を走る。あまり面白くない景色が続く。佐用インターまで快調に飛ばしてきたが此処から一変してカーブの多い山道が続く。その横にほぼ一直線のように智頭鉄道の高架が延びる。スピードでは智頭鉄道が勝ちだなと思った。最も道路の方も新しいのが建設中でこれが全線開通したらどうなるか判らない。バスでなく自家用車の利用者が増えるだけのような気もするが。

 
 ほぼ定刻11:40鳥取駅前着。乗客は20人程だった。加古川から鳥取に引っ越した友達を尋ねると言う小学生2人は無事友達のお兄さんに会えたようだ。

 鳥取13:32発の普通で諸寄へむかう。キハ28等急行型DC5両編成,今日は増結されていたようで戸惑っている人も多かった。青春18切符で旅行中らしいおばちゃんグループがどやどや乗ってきて喧しくなる。14:14諸寄着。ここへはよく海水浴で来ていた。中学一年の時には臨海学校で来たこともあり懐かしい。もっとも,臨海学校の方は中二の時にも来るはずが,その年兵庫県の真ん中辺りにある某町に県立教育センターちゃなもんが出来,そのつまらん場所での合宿になってしまった。皆で姫路から鈍行客車列車に乗ってきた臨海学校はとても楽しかったのに。御陰でその某町が大嫌いになってしまった。久々に諸寄の海を眺めたあと浜坂まで歩く。途中,浜坂行普通,京都行あさしお10号にぬかれ,約30分歩いて浜坂着。

 浜坂に着いたのは15:15頃で,16:20発豊岡から急行但馬4号の姫路行まで1時間程。少し駅前をぶらぶらする。土曜ということもあって温泉にいくらしい人で賑わっている。湯村温泉行のバスも満席になっている。先程来た諸寄とは反対の九谷側にある踏切まで歩く。記憶とは違いここから駅は見えなかった。浜坂-湯村温泉のバスに乗っているとここの踏切で待つことがあった。その時に大社や美保と言う急行列車が通り過ぎて行き,その行き先である金沢,名古屋,出雲市と言う行ったことのない地名を,何時かこの列車に乗っていくぞと思って見ていたもんである。

 米田茶店の駅弁かに寿し900円とUCCかんコーヒーを買いホームへ出る。ここ浜坂のかに寿司しは昔「松葉」かに寿しと名乗っていたのが,いつの間にかただのかに寿しになってしまっている。またかに寿し1種類しか無かった駅弁も幕の内,牛そぼろ弁当等が出来種類が増えている。

 僕は浜坂-姫路の乗車券と豊岡-姫路の急行券を持っているが長距離客でも急行券を持っている人は少ないようである。それも当然でこの急行但馬4号が姫路に着くのは20:01だが,このあと16:31の特急はまかぜ6号に乗ると18:57着,また16:20発に乗り城崎で先行する普通に乗換,和田山で播但線の普通にのると但馬4号の僅か11分後の20:12に姫路に着ける。浜坂-姫路でみると今の急行の中途半端な立場を象徴するようなダイヤになっている。

 16:20鳥取方面から3両編成のDCがやって来る。昔はこの夕方の但馬号姫路行きは浜坂折り返しでゆっくり乗り込めたのだが今は慌ただしく発車していく。あの頃は7両編成でもあった。いつもゴジラみたいな顔と声のおばちゃんが車内販売にきており豊岡のたで川のかに寿しを売っていた。こっちのかに寿しもよく食べたもんだである。もちろんこの列車に車販は乗っていない。あのおばちゃんは元気かなと思う。九谷-餘部でかに寿しを食べてしまう。美味しいが何となくかにが貧弱に思えてしまう。乗客は思ったより多くボックス席は全て埋まっているようである。ところが福知山行き普通が先行する城崎で殆ど下りてしまい,最後尾,豊岡からの急行区間では禁煙車になる車両(普通区間は全車禁煙)には僕一人になってしまった。城崎9分停車のあと,玄武洞でも対向列車待をする。円山川のそばにあるこの駅で客車鈍行が長時間停車するのは似合うが,豊岡から急行になるというのに,ちょっと寂しい。豊岡からの乗車を期待したが禁煙車にはまだ僕一人。江原,八鹿でここ禁煙車に計3人の乗車があり,一人では無くなったものの寂しい状態に変わりはない。昔ならこの辺で7両編成が1両のグリーン車も含めて満席になり暑くて仕方無かったのだが。今は上着を脱ぐと少し寒い。スキーが一つだけ網棚で揺れている。殆ど人気のない駅にも丹念に止まりながら20:01姫路着。播但線ホームに下り立ったのは僅かな人だった。家へ帰るには山陽線に乗換,宝殿まで行くのだが,姫路にいたころを懐かしみいったん駅前へ出る。

 この但馬4号先程述べたように特急と普通の間で存在の非常に希薄な列車になっている。僕も昔を懐かしんで,と言うのでなければ浜坂-姫路を乗り通すことはしなかったかもしれない。以前のように浜坂18時前発,姫路21頃の到着の方が利用価値が有るように思うのだが。田舎に帰る時僕が車で送る時以外は列車を利用する両親も現行ダイヤになってからとても不便になったと言っている。このままでは廃止もしかたないのが現状である。思い出いっぱいの列車なので何とか活性化してほしいのだが。

 姫路で駅そばを食べ20:24の普通で宝殿へ向かう。221系の車内はそれほど混んでいたわけではないがさっきとは全然違う,華やかにさえ感じる。今日ぐらいは姫路で泊まったら良かったかなとおもった。 
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