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1997神戸ルミナリエ [旅行記 日本]

「ひえー、むっちゃよーさん人おる。」1997年クリスマス前の週末、元町駅前は、ルミナリエ会場へ向かう人で埋まっていた。3回目になり、すっかり神戸の冬の名物になったルミナリエ。今年も、光のゲートやウォールが年末の街を彩っている。

1995年12月。いつもならクリスマスの飾りつけが鮮やかな神戸の街は、まだ暗闇にに支配された夜が続いていた。あちらこちらで工事の音が繰り返され。去年まで街を照らしていた明かりが今は、夜に沈んでいた。

そんな神戸観光復活への希望を込めたルミナリエの光が灯されることになった。ついでに見てみるか。土曜日、元町で用事を済ませた僕は、会場となる旧居留地に向かっていた。幾つもの建物が消えていた。元町のシンボル的存在だった大丸百貨店もひとつの影にすぎなかった。何となく人の流れに沿って歩く。奇妙に静かな通りから、会場の通りへ曲がったその時、目の前に光のゲートが続いていた。復興への希望の光。観光客を呼ぶためのイベントにすぎないと思っていた光に、感動していた。僕は少しの間その角に立っていた。人々の顔を照らす光。多くのひとがそうだった。一瞬立ち止まり、笑顔が、嬉しそうな声が聞こえた。たいした被害を受けていない僕よりもっと強い気持ちで光を見ていた人が多かったに違いない。その角を曲がった時、その瞬間、ルミナリエの光は希望の光として輝いていた。ゲートをくぐった時、不思議な安らぎがあった。この街を照らす光は犠牲者への鎮魂の光でもあった。そっと目を閉じ手を合わせる人がいる。そんな中を、僕はゆっくりと歩いていった。

あれから2年。ルミナリエはさらに多くの人を魅了していた。僕は結局、あまりの人込みにその日は会場に行くのを止めた。人の流れと反対に歩き、元町駅のホームに出た。次の電車が来るまでの少しの静寂にあったホームで、「ルミナリエは震災にあったこの街だからこそ価値がある。」と聞いた言葉を思い出した。一見光を取り戻したかのように見えるこの街で、ルミナリエの光はまだ希望の光として輝き続けている。当たり前のように到着した電車から降りていく大勢の人と入れ違いになり、流れていくホームを見ながら、この街が本当に復興したと言える時、ルミナリエは終わっていいのかも知れない、そう思った。
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