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急行但馬ぐるっと二周 [旅行記 日本]

 94年3月に姫路駅の高架工事関連で気動車区等の施設が移転するという記事が新聞に載っていた。また冬には智頭鉄道の開業も予定されているという。

 僕の生まれたのは姫路市,両親は兵庫県美方郡温泉町の出身。温泉町は夢千代日記で有名になった湯村温泉のある所で,最寄り駅は山陰線浜坂駅である。小さい頃親の故郷に帰省する時にはいつも播但連絡急行「但馬」だった。特に,朝の姫路発浜坂行,夕方の浜坂発姫路行(浜坂-豊岡普通)はよく利用していた。まるで自分たちのためにあるような列車だと思っていた。その後時がたち僕も就職をし,やがて不便な所に転勤になって通勤のため車を持たなければしょうがないことになると。帰省も車を利用するようになってしまった。車で行くのは好きではない,それに今はもういない母方祖母の言葉「あんたは汽車がすきやから」と言う言葉を思い出すと列車で行かなければいけないようにも思う。勿論母方の祖母が汽車好きだった訳ではなく,子供が皆都会へ行った中,孫の僕が列車で帰ってくるのが嬉しかったんだと思う。僕がどちらかといえば列車に乗るのを楽しみにしていたとしても。そして今年智頭鉄道が開通するとこの区間も大きく変わることになりそうだし,高架工事での関連で,姫路駅も大きく姿を変えようとしている。今のうちにもう一度乗っておこうと重い腰を上げた。都合で一泊する余裕はなかったが1日で済ますのも呆気ないと思ったので日帰り2回に分け,最初の日に朝の但馬号,2回目の日に夕方の但馬号に乗ることにした。

1993年12月25日
 宝殿駅7:15発の普通電車で姫路に向かう。曽根-御着間で貨物駅の建設が進んでいる。姫路の貨物ヤードで貨車の入替えを飽きもせず見ていたのも随分前のこと,構内に広がっていた線路も近いうちに取り外され再開発が進められることになる。ホームに入る少し前,右手に播但線用の東1~3番ホームが見えてくる。姫路始発浜坂行の急行但馬1号(浜坂-鳥取普通として直通)はまだ入線していない。 姫路到着,跨線橋を渡って播但線ホームヘ向かう,朝食は食べてきたが売店でおかめ弁当を買う。以前はふたの部分がおかめのお面になっていたのが今は普通である。これに僕の駅弁のお供,UCC缶コーヒーを買い東1番ホームで列車を待つ。程なく気動車がやって来たがちょっと変。7:40発の普通福崎行きだった。今までこの時間の東1番線から普通が出ていった記憶がなかったので少し戸惑う。普通列車が出ていったあとすぐに但馬1号が3輌編成で入ってくる。昔はここのホームの端っこのほうで随分前から並んでいたように思うが,もう端の方には列車はなく先頭の禁煙車に乗り込んだのも数人であった。それでも発車時間が近づき7:51着の山陽線下りからの乗継ぎも含めて何とか空のボックス席はなくなった。

 
 8:00発車さっそくおかめ弁当を食べおえてしまう。寺前の当たりから雪が残っているようになり,生野ではうっすらではあるが雪景色になった。子供が雪を見てはしゃいでいる。僕も子供の頃冬の但馬では雪が有るもの思っていたし,全然積もってないとがっかりしたもんである。その後祖母が雪のない冬を嬉しそうに話すのを何度か耳にして少し考えは変わっているが,雪の中を行く列車は捨てがたい。生野の峠を過ぎ,播但線の終点和田山に着くと雪も少なくなってきた。雪はその後盆地の豊岡で少し積もっていたが海岸部では所々残っているだけだった。

 昔から播但線内の乗降は少なく八鹿に着いた頃からぼちぼち人の動きが目立ち始める。八鹿,江原と関西有数のスキー場への連絡駅だが今は列車で来る人はほとんどいないようである。但馬の中心都市豊岡,温泉地城崎と停車し降車が目立つが元の人数が少ないのでそう大量にはならない。城崎から先は以前でも空いていた。今回もそうだった。夏なら海水浴もあるのだが,冬ではそうもいかず温泉に入って松葉がにでもというには早すぎる時間である。折角景色のいい海岸線を行くのに,もったいないことだと思う。トンネルの合間に日本海が見える。この区間と豊岡付近の円山川の車窓風景は大好きである。

 10:23発の香住から予想外の乗車がある。去年の3月改正迄はこの但馬1号が浜坂で長時間停車して後続の普通列車を待って鳥取へ向かっていたのだが今はすぐ発車してしまう,そのため香住で一泊して鳥取方面へ向かう人が乗ってきた様だみんなかにのお土産を吊り下げている。鎧を過ぎいくつかトンネルを抜けると余部鉄橋を渡る。何となく下り列車で渡る方が好きだ。1986年暮れの事故以来単純に喜んでもいられない気持ちになるが,やっぱりいい鉄橋である。大好きな。 10:40浜坂着。いつの頃からか但馬1号はここから普通列車として鳥取へ向かう。個人的にはこの区間は何が余計な気がする。以前は折り返し大阪行急行但馬として発車していたのだが。

 浜坂下車。父方の祖母の所へは駅前から全但バスで湯村温泉まで約20分,そこからさらにバスで15分かかる。バスの時刻の関係もあり今日は寄らない。ごめんなさい。

 浜坂11:42発の快速で鳥取に向かう。181系3輌で弁当の車内販売もあった。浜坂-鳥取間というと乗客はそんなに多くないイメージが有ったが今日は浜坂でほぼ満席,諸寄,居組と浜坂からの買物帰りらしい人が下りていったが,岩美で高校生が乗ってきて立ち客も出たのは意外だった。

 鳥取12:20着。駅前で焼きそばの昼食の後鳥取砂丘へ,隅の方にほんの少し雪が残っている。砂山を越えて浜辺まで下りていくのはしんどいので,少し行ったとこで海を眺めて引き返す。小学生の頃バス旅行で来て,何人かの友達と浜辺に下りて行ったあと後ろに聳える砂山を見て,このまま帰れへんのちゃうか、と不安になったことを思い出した。

 鳥取駅前に戻りバスターミナルへ,日交と日の丸バスが同居しているのは,昔鳥取の駅前で二つのバス会社がガンガンスピーカーを鳴らしながらそれぞれのターミナルへの誘致合戦をやっていたのを思うと時代の流れを感じる。お互いに反発しあってばかりいられるような状況で無くなったのかもしれない。姫路行きの特急バスに乗る前にバスターミナル2階の食堂で腹ごしらえをしておく。途中雪の多い峠をとおるし,渋滞でもあれば悲惨である。

 16:00鳥取発姫路行のバスは国道29号戸倉経由便である。他に岡山県の大原経由便が一般道,又は中国自動車道経由であり,計8往復が運転されている。鳥取発車時の乗客は5人。スキー場のある戸倉,山崎等で数人の乗客が有ったがそれでも10人ほどの寂しい車内のまま,心配した渋滞もなく姫路市内へ。駅前の大手前通りに入り,姫路城が見えると姫路に帰ってきた実感が湧く。ほぼ定刻の19:05姫路駅前にバスは到着した。

1994年1月15日(土)
 宝殿8:36発の普通で姫路へ。駅前の神姫バス乗り場へ行くと,大学センター試験会場行きの最終バスが出るところだった。そういえば今日は成人式でもあって晴れ着の女性も数人いる。テレビ等で観てはいるのだが,どうも最近季節を実感することが少ないように思う。

 姫路9:10発鳥取行き高速バスに乗る。姫路-鳥取間のバスは姫路の神姫バス鳥取の日の丸バスの共同運行で8往復あり,その内4往復は高速便として,播但連絡道,中国自動車道を経由し2時間30分で走っている。この高速と一般道経由の2往復,計6往復が岡山県の大原町を経由しており,智頭鉄道とほぼ同じ経路になる。2時間50分~3時間かかっている一般道経由便に対し高速便を設けたのも智頭鉄道開業を意識したものと思われ(たぶん),神姫バス便は夜行高速バスで使っていたと思われる3列独立シートの車両を使っている。 バスは暫く姫路の市街地を走った後播但連絡道へ,福崎インターから中国自動車道に入り佐用インターまで高速道路を走る。あまり面白くない景色が続く。佐用インターまで快調に飛ばしてきたが此処から一変してカーブの多い山道が続く。その横にほぼ一直線のように智頭鉄道の高架が延びる。スピードでは智頭鉄道が勝ちだなと思った。最も道路の方も新しいのが建設中でこれが全線開通したらどうなるか判らない。バスでなく自家用車の利用者が増えるだけのような気もするが。

 
 ほぼ定刻11:40鳥取駅前着。乗客は20人程だった。加古川から鳥取に引っ越した友達を尋ねると言う小学生2人は無事友達のお兄さんに会えたようだ。

 鳥取13:32発の普通で諸寄へむかう。キハ28等急行型DC5両編成,今日は増結されていたようで戸惑っている人も多かった。青春18切符で旅行中らしいおばちゃんグループがどやどや乗ってきて喧しくなる。14:14諸寄着。ここへはよく海水浴で来ていた。中学一年の時には臨海学校で来たこともあり懐かしい。もっとも,臨海学校の方は中二の時にも来るはずが,その年兵庫県の真ん中辺りにある某町に県立教育センターちゃなもんが出来,そのつまらん場所での合宿になってしまった。皆で姫路から鈍行客車列車に乗ってきた臨海学校はとても楽しかったのに。御陰でその某町が大嫌いになってしまった。久々に諸寄の海を眺めたあと浜坂まで歩く。途中,浜坂行普通,京都行あさしお10号にぬかれ,約30分歩いて浜坂着。

 浜坂に着いたのは15:15頃で,16:20発豊岡から急行但馬4号の姫路行まで1時間程。少し駅前をぶらぶらする。土曜ということもあって温泉にいくらしい人で賑わっている。湯村温泉行のバスも満席になっている。先程来た諸寄とは反対の九谷側にある踏切まで歩く。記憶とは違いここから駅は見えなかった。浜坂-湯村温泉のバスに乗っているとここの踏切で待つことがあった。その時に大社や美保と言う急行列車が通り過ぎて行き,その行き先である金沢,名古屋,出雲市と言う行ったことのない地名を,何時かこの列車に乗っていくぞと思って見ていたもんである。

 米田茶店の駅弁かに寿し900円とUCCかんコーヒーを買いホームへ出る。ここ浜坂のかに寿司しは昔「松葉」かに寿しと名乗っていたのが,いつの間にかただのかに寿しになってしまっている。またかに寿し1種類しか無かった駅弁も幕の内,牛そぼろ弁当等が出来種類が増えている。

 僕は浜坂-姫路の乗車券と豊岡-姫路の急行券を持っているが長距離客でも急行券を持っている人は少ないようである。それも当然でこの急行但馬4号が姫路に着くのは20:01だが,このあと16:31の特急はまかぜ6号に乗ると18:57着,また16:20発に乗り城崎で先行する普通に乗換,和田山で播但線の普通にのると但馬4号の僅か11分後の20:12に姫路に着ける。浜坂-姫路でみると今の急行の中途半端な立場を象徴するようなダイヤになっている。

 16:20鳥取方面から3両編成のDCがやって来る。昔はこの夕方の但馬号姫路行きは浜坂折り返しでゆっくり乗り込めたのだが今は慌ただしく発車していく。あの頃は7両編成でもあった。いつもゴジラみたいな顔と声のおばちゃんが車内販売にきており豊岡のたで川のかに寿しを売っていた。こっちのかに寿しもよく食べたもんだである。もちろんこの列車に車販は乗っていない。あのおばちゃんは元気かなと思う。九谷-餘部でかに寿しを食べてしまう。美味しいが何となくかにが貧弱に思えてしまう。乗客は思ったより多くボックス席は全て埋まっているようである。ところが福知山行き普通が先行する城崎で殆ど下りてしまい,最後尾,豊岡からの急行区間では禁煙車になる車両(普通区間は全車禁煙)には僕一人になってしまった。城崎9分停車のあと,玄武洞でも対向列車待をする。円山川のそばにあるこの駅で客車鈍行が長時間停車するのは似合うが,豊岡から急行になるというのに,ちょっと寂しい。豊岡からの乗車を期待したが禁煙車にはまだ僕一人。江原,八鹿でここ禁煙車に計3人の乗車があり,一人では無くなったものの寂しい状態に変わりはない。昔ならこの辺で7両編成が1両のグリーン車も含めて満席になり暑くて仕方無かったのだが。今は上着を脱ぐと少し寒い。スキーが一つだけ網棚で揺れている。殆ど人気のない駅にも丹念に止まりながら20:01姫路着。播但線ホームに下り立ったのは僅かな人だった。家へ帰るには山陽線に乗換,宝殿まで行くのだが,姫路にいたころを懐かしみいったん駅前へ出る。

 この但馬4号先程述べたように特急と普通の間で存在の非常に希薄な列車になっている。僕も昔を懐かしんで,と言うのでなければ浜坂-姫路を乗り通すことはしなかったかもしれない。以前のように浜坂18時前発,姫路21頃の到着の方が利用価値が有るように思うのだが。田舎に帰る時僕が車で送る時以外は列車を利用する両親も現行ダイヤになってからとても不便になったと言っている。このままでは廃止もしかたないのが現状である。思い出いっぱいの列車なので何とか活性化してほしいのだが。

 姫路で駅そばを食べ20:24の普通で宝殿へ向かう。221系の車内はそれほど混んでいたわけではないがさっきとは全然違う,華やかにさえ感じる。今日ぐらいは姫路で泊まったら良かったかなとおもった。 
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