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台湾一周二人三脚(椰子が笑う 汽車は行く 文藝春秋社)(4) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

1982年12月14日-3
莒光号の車内は満席で、宮脇氏らの席は高校生の団体が占拠していた。自願無座の切符を持っている人ならすぐ席を譲ってくれるのだろうが、指定券を持っていると信じ込んでいる高校生相手に少し手間取りながら、引率の女性教師のおかげで席につくことが出来たようだ。乗客に原住民らしい容貌が目に付く莒光号は「拓寛工程で」762ミリから1067ミリに広くなった線路の上を走る。この区間を以前通った時は6月、今は12月まったく逆の季節だが、「車窓風景に変わりがない。」水牛が田を耕し、アヒルが群れている水田が有る。台東線近代化工事の見所とも言うべき「渓口河底トンネル」も「入ってしまうとつまらない」、旧台東線を懐かしみつつ、宮脇氏はやっぱり結構楽しんでいる様な気がする。

台東市の紹介に、人口1万人とある。今では信じられないが、その頃の東部はそれほど不便なところだったのだろうか。前回泊まった「洋州大飯店」を懐かしみつつ、宮脇氏らは「おそらく台東随一」の「興東園大飯店」に泊まる。僕も1992年始めて台東(旧)駅に着いた時に一番に目に付いたのがこの興東園大飯店だった。結局もう少し新し目のホテルに泊まったのだが、興東園大飯店の方に泊まってみても良かったかなと言う気もする。ちなみに「挟み撃ち」を期待したわけではない。今では5星級の台東娜路彎大酒店なんかが出来ていて観光面でも発展して行きそうな台東。便利になることは好いことなのだろうが、あの頃に一度行ってみたかったと言う気持ちが少しだけ大きくなっていく気がした
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