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台湾鉄路千公里 宮脇俊三著 ブログトップ
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台湾鉄路千公里 宮脇俊三著(17 おわり) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

あとがき

最初にも書きましたが、僕が台湾に行ってみようと思ったきっかけが、鉄道紀行作家宮脇俊三氏の台湾鉄路千公里を読んだことでした。パスポートを更新することになって、特に希望はないけどどこか外国に行ってみたい、そう思っていたときに読んだのがこの本でした。この本を読まなくても台湾には行くことになったと思います。けど、この本を読んでいたから出会えることになった台湾、それがきっとあるように思う、僕にとってそう言う一冊です。

これまで書いてみて、宮脇氏の文章を引用した後、自分で考えた文章を書いてみると、その差は限りなく遠いなと思いました。もちろんプロの作家であり、その評価も高い宮脇氏の文章と自分の駄文を比べること自体おこがましい、というかその名を騙り文章を連ねること自体恥ずかしい様な気もします。それに、表現されたもの、感じることが出来たこと自体にも大きな差を感じます。鉄道に乗りたいという同じような目的で台湾に出かけて、もう僕の方が台湾に滞在していた時間は宮脇氏より多くなっているはずなのに、あらためてこの本を読み返してみると、何度も読んでいるはずなのに、いまだに自分の知らないことがまだまだあるんだな、そう感じます。

もし何らかの偶然でこの文章を目にした方がいらっしゃれば、是非「台湾鉄路千公里」を読んでいただきたいと思います。宮脇氏の旅から20数年、この本で語られる台湾は今の台湾とは違うかもしれません。けれど1980年6月、たった8日間の鉄道旅行を記したこの本は確かに、鮮やかにひとつの台湾を表現しています。

二〇〇四年一月 
                                         一宮脇迷
                      
参考 
Amazon.co.jp
Kinokuniya Book Web
その他書店でも角川文庫版が入手可能だと思います。

台湾鉄路千公里 宮脇俊三著(16) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

台東~高雄 その2

帰国前日、宮脇氏は高雄から寝台列車で台北に向かう。僕は台湾の寝台車を知らない。1991年高雄から台北へ西部幹線の夜行列車は毎日運転の呂(草かんむりに呂)光号が1本、復興号が1本、週末にはそれぞれ1本ずつ増発され計4本になる。ただ、寝台を表す表記はどこにもなかった。台北につき観光をした後、「乗りたい線にも列車にもひと通り乗ってしまった」宮脇氏は、台湾に着いた日と同じ14:00台北発の自強号で桃園に向かい、桃園から空港まではタクシーに乗る。

国際空港はその国の中でも一種異質な場所である。まだその国にいるはずなのに、先ほどまでいた場所とは明らかに違う。特に日本行きの飛行機に乗るためやってきたときは。当たり前のように聞こえる日本語、それにふと腹立たしさを覚え、このまま引き返してしまいたい気になる。けど時間が来ればやっぱり行かなければならない。パスポートと搭乗券を取りだし、時にはひとりで、時には誰かに手を振りながら。もう一度台湾に気さえすれば会えるだろう人、もう2度と会うことはないだろうと思う人、会えたらいいなと思う人。ジェット機のエンジン音に身をゆだねて。

「再見、再会、台湾。さようなら、台湾の人たち。」台湾鉄路千公里結びの言葉である。台湾を旅した人の多くがこの言葉を心の中でつぶやいているような気がする。けど、それぞれの思いは違う。台湾での出来事を思い出しながら「きっと、また来るから」僕はいつもそう思う。まずは飛行機が無事日本に着くことを祈りながら。

台湾鉄路千公里 宮脇俊三著(15) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

台東~高雄 その1

1980年鉄路局の南廻り線はまだ開通しておらず、台東から高雄へはバスしかなかった。「目くるめくように明るく眩しいばかりで、することがない。」台東からバスに乗り、楓港に着いたときの様子を宮脇氏はこう記している。いかにも南国というこの描写。1992年僕が台湾南部を初めて訪れたとき鉄道の南廻り線が暫定開業していた。台湾に向かう日本アジア航空の機内誌「アジアエコー」にも、カラーでこの新しい路線が紹介されていた。それでも、バスにも乗ってみたいと思ったのは、宮脇氏に表現された南国の風景に憧れていたからにほかならない。

まずは、宮脇氏とは逆に高雄から台東に向かう。台南から列車で高雄に到着したのが10時半。駅の切符売り場に行ってみたが、南廻り線の列車は売り切れ、時間もかなりあいていたので、駅前の台汽のバス乗り場に向かった。こちらも台東行きのバスが出たばかりだったが、1時間後次の便が出る。指定券を買い、暫く駅前をぶらぶらし、軽く食事をしておいた。台東行きのバスは4列シートの日本でいう観光バスタイプ。指定された席は右窓側一番前の席だった。台湾のバスの運転席は日本と逆に左側についている。側面の窓は太陽を遮るため少し暗くなっているが、前面の窓ガラスは普通のガラス、天気もよく南国の眩しい光を堪能する。途中落石で道路が半分ふさがっている所が何ヶ所かあったが、それもまた楽しく思えるほど。

台東で一泊したあと今度は列車で高雄に向かう。朝、台東駅に向かうが前日確認したとおり、やっぱり列車の切符は売り切れていて「自願無座」の切符しか買えなかった。高雄行きの呂(草かんむりに呂)光号は台東(旧)駅を発車した時点では空席もちらほら、坐っていけるかなと思ったが、台東新駅に着くとやっぱり「どいて」といわれる。他の空席も埋まっていて、数人が立っている状態になったので暫く給湯器の有る場所に坐っていたが、外が見えないのでデッキに移動する。デッキでは冷房が効いていない。ドアは手動なので開けて外の風を受ける。こっちの方が気持ちがいい、と気分良くしていると、車掌さんが来て「危ないから閉めろ」といわれる。しょうがないので閉めたがそうすると立っていないと外が見えない。この日の天気も快晴、海が本当に藍い。この景色を見逃すわけにはいかないので暫く立って外を眺める。立っているのはいいが暑いのはたまらない。海が見えなくなると車内に入った。

枋寮に着くと、下りる人が多く空席ができたので坐る。新規開業部分はここまで、ここから高雄までは既存の屏東線になる。下車したより多くの人が乗ってきたが、ほとんどの人は指定されていない切符を持っているようで、席を譲る必要はなかった。これまでなら、枋寮発のすべての列車が始発列車だったので、高雄までの人なら優等列車でも指定席が必要なことなどほとんど無かったのだろう、予想以上に混雑した車内に戸惑っているような人も見かけた。相変わらずの晴天だが僕が座ったのは太陽とは反対方向の窓側。高雄到着まで車窓を楽しんだ。

台湾鉄路千公里 宮脇俊三著(14) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

花蓮~台東 その2

1999年、「狭狭軌特急、光華号」はもうすでになく、僕が初めてこの区間を乗ったのは台東から 花蓮までの自強号だった。車内はそれなりに混んではいたが、立ち客がいるほどではない。ずっと車内を見回してみると、西部幹線に乗っている時とは違った顔つきの人が多いように感じた。両側から山が迫る様なこの区間に車窓に特に名所といわれる場所はない。けど、のんびり普通列車に揺られるにはいい場所のように思った。

台東のホテルと言えば「洋州大飯店」。宮脇氏の作品を読んでいたら泊まらないまでもちょっと覗いてみたい気にはなるだろう。あの「シナをつくった。」おばさんは今でも健在なのだろうか、そう思う読者はきっと多いに違いない。宮脇氏も2度目の台湾訪問時、泊まりはしなかったが、椰子か目に言っている。残念ながらおばさんとの再会はなかった様だが(「文春文庫 椰子が笑う汽車は行く」 の「台湾一周二人三脚」を参照)。僕が1992年台東を訪れたとき宿は別の場所に取ったが、やはり一度見てみたいと思っていた。結局どこかわからずじまいで、未だに気になっている。

台東の夜、駅前の食堂で、発音しやすそうという理由でカレーライスを食べた後、街をぶらぶらしていると、一軒のパン屋が目に付いた。夜食か、朝食か、パンでも買っておこうと入ってみると、結構おしゃれな店内で、これまで入ったことのある台湾の店とは違う感じだった。ここではクリームパンなどパンを2個、これは日本人の口にも合いとても美味しかった、とリンゴ牛乳を買った。僕が小さい頃牛乳瓶に入ったリンゴ飲料には2種類有った。透明な黄金色をしたリンゴドリンク、それにフルーツ牛乳のような色のリンゴ牛乳だった。フルーツミックス味のフルーツ牛乳とは違い、リンゴ味のリンゴ牛乳はその後見かけなくなった。近所の店ではもともと長い期間売っていなかった様にも思う。果汁成分がリンゴしか入っていないフルーツ牛乳というのも飲んだことがあるがその味は、やっぱりリンゴ牛乳とは違う気がした。特にそれを追い求めていたわけではないが、懐かしい味が目の前にある。記憶していた味と違ったら、という不安は少しあったが、1リットルボトルで買ってしまう。その味は、記憶通りのものだった。あの懐かしいリンゴ牛乳、こんなものまで台湾では手に入れることが出来るのか。台湾、台東に対する好感度がさらにアップしたのは当然だった。その後、何度かの訪台の度リンゴ牛乳はパパイアミルクなど共に欠かせない飲み物になっている。最近日本でもリンゴの乳飲料が復活しているような気もする。けど、リンゴ牛乳はやっぱり台湾でないと飲めない。

台湾鉄路千公里 宮脇俊三著(13) [台湾鉄路千公里 宮脇俊三著]

花蓮~台東 その1

花蓮まで来れば、まず太魯閣だろう。「とくに観光旅行をするつもりはない」宮脇氏も「太魯閣だけは見たいと思っていた。」ようだ。僕は、花蓮に1泊して2日目、取りあえず駅前のバスターミナルまでやってきて太魯閣までどうやっていくか考えていた。観光客らしき物が駅前でボーとしていたら当然観光タクシーのいいカモである。少し疲れていたこと、観光バスとかでなく自分のペースで見ていきたかったことなどから、その誘いに乗った。値段はたしか1500元だった。1僕が乗ったタクシーが相場からして高かったかどうかはわからない。パンフレットらしい物を見せてこれが正式な値段で、ここから割引しますと言われた。こういう交渉ことはにがてなのでそれでいいと言った。980年宮脇氏は900元で太魯閣観光のタクシーに乗っている。台湾ドルでいえば600元の値上がりだが日本円に直すと宮脇氏の900元は約5700円、ほとんど変わっていない。

太魯閣はすばらしかった。あまりにも有名な観光地で、観光客も少なくない。それでもこの大理石渓谷とここに道路を通した人の力と。タクシーを降りて旧道を暫く歩いてみたりしたが、ここは半日くらいでさっさと観光するところではないように思った。天祥につくと何か気が抜けた。対岸に祥徳寺の7重の塔が見える。タクシーの運ちゃんはあそこに行ってこいと言う。僕は少し歩いてみたが、そこまで登る気になれずすぐ引き替えした。しばらく休憩する気だったらしい運ちゃんはちょっと意外そうだったが、すぐ僕を乗せて走り出した。途中お決まりのように大理石工場と称する土産物屋に連れて行かれる。まあお菓子くらい買ってもいいかなと思っていたのだが、何を思ったのか売れ残りのような、石で出来たパイナップルとリンゴの置物を買う。台湾まで来てパイナップルはともかく何でリンゴか自分でもよくわからない。そんなに大きな物ではなかったが石である。その後鞄がかなり重くなってしまった。変な物をかってしまったなあ、といまだに思うが、結構気に入っているのがまたふしぎである。

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