SSブログ
日記・コラム・つぶやき ブログトップ
前の5件 | 次の5件

ラジオ [日記・コラム・つぶやき]

前回、ネットラジオのことを書きましたが、僕が小学生くらいのときにBCL(Broad Casting Listener)と言うのが流行りました。BCLとはその名前の通り放送を聞く人。放送を聞いて受信報告書を送ると貰えるべリカードを集めたりしてました。

僕はもともと本を読むのが好きだったんですが、本を読みながらだとテレビは見にくいし、音が無いのも寂しい、とはいえそんなに小さい家で、シングルだけしかかからないレコードプレーヤも壊れたままで買ってもらえなかったのでBGMにレコードをかけるなどと言う優雅なことは出来ませんでした。そんなことから自宅にあった小さなトランジスタラジオや使われていなかったのを引っ張り出してきた真空管式のラジオをかけながら本を読むことが多くなりました。初めはラジオは単なる音で本にだけ集中していたんですが、その内ラジオの内容が以外に面白いことに気づきました。時事ニュースやはがきの紹介、かかっている歌は歌謡曲が主でしたが、テレビで見るような最近の曲だけでなく、数年から数十年前の曲まで、知らない世界をのぞくような気がしました。

夏休みや、冬休みなど長期の休みで家にいるときには一日中ラジオを聞いていること多くなりました。朝8時からはMBSにダイヤルを合わせて、「ありがとう浜村淳です」「ごめんやす馬場章夫です」「ホットの歌って当てましょう」昼ご飯を食べた後はABCに移って「ポップ対歌謡曲」「歌謡曲ぶっつけ本番」「おしゃべり横丁ABC」。晩御飯の後はテレビを見ますが落語漫才番組があればそれを聞いて、9時を廻ると「欽ドン」「恵美子の長い付き合い」そして「ハイ浜村淳ですABC」10時から始まるこの番組を聞きつつ最後まで起きていられずに寝ていたんですが、浜村淳にはじまり浜村淳に終わる日でした。と言うわけで土曜日にはOBCで「サタデーバチョン」その流れでオールナイトニッポンを聴くことも有りましたが、たいていはその前に寝ていました。日曜日はラジオ関西を聞くことが多かったです。鈴木美智子の写真をみて絶望的なショックを味わったり、大阪まで「ごめんやす馬場章夫です」の公開放送を何度か見に行き小山乃里子も相当なもんだなと知り、ラジオの人の顔は見ないほうが良いと思う様になるのは、もう少し後のことです。近所の二ノ宮無線開店イベントでラジオ短波の大橋照子を見た時はちょっとほっとしましたが。

そんな有る冬の日、僕は小学6年だったか、それとももう中学生になっていたでしょうか。クリスマスプレゼントにいいラジオを買ってやると両親から言われました。親の言ういいラジオがどんなものか少し懐疑的でしたが、雑誌で見るしかなかった短波ラジオが手に入ると言うのでとてもうれしかったです。親につれて行かれたのは姫路市内のナショナルショップ。ソニーのスカイセンサーにも少し未練は有りましたが、ナショナルのクーガも雑誌の広告で見て欲しかった機種。気温差で少しくもったドアを開けると憧れのクーガがあり興奮しました。ぱっと目に付いたのは大きなスピーカが印象的なクーガ115。ちょっと格の落ちるクーガNo7にしろ、と言われないうちに「これ」と指差しました。案の定と言うか両親は「これでいいのか?」との言葉。ところが「これにしたら」と指をさしたのは上位機種のクーガ118。正直それほど裕福な家ではなかったので定価43800円と目もくらむような価格をみつつ、「この冬何か有ったのか」と一瞬思いましたが、うれしさに深く考えることはやめてBCLラジオを手にいれました。その日の夜、ラジオオーストラリアのワライカワセミを初めて聞いたときの感動は忘れられません。

クーガ118はアナログ式で、ソニーのスカイセンサー5900や少し後に出たクーガ2200のように周波数直読式ではなかったし、周波数デジタル表示なんかとんでもない世界だったので、聴きたい放送局にダイアルを合わせて放送開始を待つ、などと言うことは出来ませんでした。ダイヤル版の数字を見ながら放送局を探す。面倒くさい作業ですがそれがラジオの楽しさを増していたのかもしれません。「ラジオの製作」や「短波」といった雑誌を買って、それを参考に海外の放送を聞くことが多くなりました。とはいっても英語もわからずましてやそれ以外の外国語など言わずもがな。聞くのは日本語放送ばかり。それほど濃いBCLにはならなかったようです。当時貰ったべリカードが何枚か残っていますが、北京放送、ピョンヤン放送、モスクワ放送、ラジオ韓国など(台湾が無い^^;)共産圏の局が多いですが、特にそう言う思想傾向があったわけでもなく、近隣で受信しやすく、宣伝のためか北京放送の切り絵など、おまけを送ってくれる局に受信報告書を送ることが多かったようです。

外国からの手紙が自分当てに届く、その興奮に酔っていたのもしばらくの間。次第に受信報告書を送ることはなくなっていきました。それでもラジオを聞いている時間は相変わらず多かったんですが、外国語の壁は予想以上に厚く、国内中波の遠距離局に興味は移っていきました。雑誌を見て、姫路の星電パーツに行き、抵抗やらコンデンサやらを買って、受信を感度を上げるための部品を作ったりしていたのもこの頃です。BCLブームもやがて下火になり、中学を卒業して高専に入ると柔道部と言う比較的熱心な運動部に入ってしまったためBCLに興味を向けることは少なくなり、またラジオも壊れてしまい短波放送を聞くことは殆ど無くなってしまいました。

再び海外の短波放送に興味を持ったのは就職した後。初めての海外旅行で中国に行き、中国語ポップスに興味を持ち始めたのがきっかけでした。日本では殆ど聴くことが出来ない中国語の流行歌それを聞こうと最新のデジタル式ラジオを買いダイヤルを合わせる日々がまた始まりました。けど、アナログで必死にダイヤルを合わせていたような興奮も無く淡々と変わる数字、また放送内容もさほど面白いものは見つけられず。以前のように必死になることも無く、気が向けばスイッチを入れると言う感じでした。そんな中聞こえてきたのが「RAIN」。雑音に消えそうになりながら聞こえてきた范曉萱の可憐な曲にラジオの良さを少し再認識しました。

とはいえ今はインターネット時代。ブロードバンド常時接続が珍しくなくなり、台湾の放送局が24時間ライブで聞けるとなるとラジオを聞くことは殆ど無くなってしまいました。デジタル式ラジオもアンテナが少し曲がったまま、もうずいぶんとスイッチを入れていません。それでも、BCL、ラジオと言う言葉に少し憧れが残っているのもたしか。時代がもどることは無いでしょうが、またあの頃のようにダイヤルを回してみたいなと思う気持ちが無くなりはしないでしょう。

地震 [日記・コラム・つぶやき]

今日の夜7時過ぎ、少し強いゆれがしばらく続きました。こちら兵庫県南部なんですが、とくに周りで被害が出ているようすも無かったんですがテレビをつけてみると震源地は紀伊半島沖、この付近の震度は3程度でしたが奈良や和歌山では震度5弱と言うところも有ったようです。

その後こちらでは特にゆれることも無く風呂に入っていた0時前また揺れを感じました。とりあえずガスを止めてじっとしていたんですがしばらく揺れは続いていました。風呂から上がってテレビを見てみると震源地は同じく紀伊半島沖、揺れも7時過ぎの時より大きかったようで、テレビでは津波の情報をしきりに流しています。

地震と言えばどうしても思い出すのが1995年の1.17。しばらく電気を消して寝るのが怖くて、明け方まで気がまぎれるような本を読んでいた記憶がよみがえってきます。台湾でも1999年の921がありました。その10日後に台湾に行ったんですが、怖いと思うことこそ無かったもののいろんな記憶がよみがえってきました。

自然の力に対しては無力なのかなとも思いますし、実際起きてからのことになってしまいますが、出きることはやっておきたい。家具や棚の上のものは大丈夫か。水や食料はそれなりに確保できいるか。ともすれば忘れてしまいがちですが、もう一度確認しようと思いました。

北海道出張 [日記・コラム・つぶやき]

8月4日から12日まで北海道は札幌に出張してました。週末に一度関西に戻って休日出勤になったんで、往復割引すらないこの時期に伊丹-新千歳を2往復したら、交通費だけで約16万円を立替中。早く返してもらいたいもんです。

以前北海道に行ったのはまだ青函連絡船が有った頃ですから、17,8年前。観光する時間は無いとは思っていましたが、せめて北海道らしいものを食べたいと思っていたものの、空港から直行で仕事場へ行き、後はホテルとの往復だけ。ホテルは繁華街にあったので、深夜でも開いてる店はあったんですが疲れてラーメン1杯食べる元気も無し。結局ホテルの朝食バイキングと、コンビニとかの弁当だけで過ごしてましたが、これだと北海道らしさを感じることは出来ませんでした。ただ、仕事場の窓から大通り公園のテレビ塔や新装なった札幌駅ビルが見えていたのがせめてもでしょうか。

この時期、北海道へ行く台湾からの観光客も多いようで、伊丹から千歳行きの飛行機の中でもそれらしい女のこのグループを見かけましたし、ホテルにもそれらしい団体さんが泊まっているようでした。で、12日、お盆休みで混んでいるかなと思ったら前の週末より空いていた新千歳空港で伊丹行き最終便に乗ろうと待っていると、長栄航空の高雄行きチャーター便の搭乗案内が聞こえてきました。僕の住んでいるところから一番近い関西空港からだと高雄直行便と言うのが無いのでちょっとうらやましいなと思い、出来たら午前発のノンストップ便でも出してくれたら言うこと無しです。

関西よりは涼しかったものの、昼間はそれなりに暑い。地下鉄は冷房が効いていないので走れば涼しいけど、停まってると暑い。仕事以外はホテルへ帰って寝るだけの北海道でしたが、それでも、飛行機の搭乗口前の売店で買ったメロンミルクミックスソフトクリームを食べていると北海道らしいいかなと思えました。

5月の台湾旅行 [日記・コラム・つぶやき]

去年の今ごろ、時間があれば台湾のニュースサイトと、WHOや外務省のサイトを見ていたような気がします。知りたかったのはもちろんSARSの状況。5月の下旬の台湾行航空券を予約したのはSARSの話題が少し出始めた3月末。そのころはあんなに大騒ぎになるとは思わず、台湾旅行への影響などまずないだろうと思っていたのに、外務省から「十分注意してください」との情報が出る様な状況になったときには驚きました。会社からは帰国後1週間は家にこもって出てくるな、といわれたりしても、まだ行く気は有ったんですが危険度が引き上げられ「渡航の延期を検討してください」になったところでギブアップ。出発10日前のことでした。幸い航空券、ホテルなど手数料無しでキャンセルできましたが、結構落ち込みました。結局その時は日程短縮で福岡旅行に変更、台湾にはSARS終息宣言が出された7月に行くことが出来ました。

そして今年、また同じ時期に台湾旅行を計画しています。今年も、台湾での感染者がでたり、GW前には中国でSARS亡くなる人が出たりとちょっと不安な気になりましたが、現在のところ問題なさそうです。出発まであと1週間、仕事が順調で、SARS始め変な病気が流行らないように。

GW終了 [日記・コラム・つぶやき]

今年のGWは、5月1日から今日9日まで9連休になるぞと期待していたんですが、結局会社から呼び出しの電話が数度かかってきて、予定通りのことはほとんどできず、GW気分はまったく盛り上がりませんでした。
その代わりというか、今月19日からちょっとした用事で台湾に行くつもりなんで、明日からまたしばらく仕事をがんばります。日本でも暑い日が続いていますが台湾でも、台東で気温が40度を超えるなど、暑い日々が続いているようです。出来れば、僕が行く頃には雨が降らない程度に、太陽が隠れてくれるとありがたいんですが。
前の5件 | 次の5件 日記・コラム・つぶやき ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。